弔辞

 慶明君、君の名前を耳にする度に何故か僕は、春風の温もりにも似た心のやすらぎとともに、六十年安保闘争時代にタイムスリップしてしまうのだ。君の遺影を前に、いまも同じ思いだ。
君と寝食をともにしたのはあの激動の六十年安保の前後数年に過ぎないが何十年もたった今日でも熱弁を振るう君の姿が脳裏を離れたことはない。ソクラテスを知らないのになぜか僕の中では、君の風貌がソクラテスと重なってしまうのだ。真理のために潔く毒杯を仰いだソクラテスの肉体は滅んでも、その思想は弟子に受け継がれ、今日に脈々と生きているように、君の思想もまた、ここに集う人を始め多くの人々を通して受け継がれ生きつづけるだろう。
パリコミューンを総括したマルクスを引用しながら展開した君の「解放6号」は、当時僕にとって闘争のバイブルであった。君が自らの死を悟って後、身近な同志に託したというパンフレット[※]が送られてきた。一読して君の生き様を髣髴とさせてくれる。一切の差別を憎み、その根拠を明らかにし、人間愛に基づく真の解放の意味を熱っぽく説き続けた「解放6号」時代そのままである。もちろんその思想は寸分も無駄のない文章によって研ぎすまされている。これからはこれが僕のバイブルとなるであろう。
ここで個人的な感慨を述べることを許してもらいたい。六年前、腎不全で死線をさまよった僕が、こうして君に告別の辞を捧げることなど思ってもみなかった。君とは長いこと言葉を交すことが叶わなかったにも拘らず、ずっと心だけは時空を超えて通い合っていたように思えるのだ。一度死を悟り霊界の存在を疑わない僕は君の死によっていまでは何不自由なく君と語り合えるようになる自分の死に、ある種の憧れを覚えているというのが偽らざる心境である。こんな思いを与えてくれる君になんと感謝したらいいだろう。
いま君の告別式に臨んで、「これからは心置きなく休んでください」と申し上げよう。
何事にも全身全霊を傾注して休むことを知らない君だったのだから。

 一九九九年三月十四日
     江畑 騏十郎

※ 「目上委差別事件の組織的自己批判の徹底的貫徹と解放派の覚醒――内部糾弾のプロレタリア的貫徹――」のことである。