この論文は『月刊社会党』1967年11月号に「党をいかに強化・拡大するか――都本部党学校の討論より(上)――」として、以下のような編集部のリードの下に掲載された。
東京都本部は「党建設論」のテーマの下に、去る九月六日から三日問にわたって、党学校を開催した。この都本部党学校は、党をいかに強化・拡大するかという課題を追究して、福島慎吾(専修大学教授)氏の党に対する問題提起にはじまり、四名のレポーターによる報告に基いて一〇〇名に近い参加者が熱心な討論を展開したが、本誌ではこの党学校における四名のレポーター−−−−増野潔(品川総支部)、森永栄悦(中野総支部)、篠藤光行(埼玉県所沢総支部)、広沢賢一(新宿総支都)の報告を加筆の上発言順に二回にわたって収録し、読者の検討に資することにした。紙数と整理の都合上今回は増野潔氏の報告しか収録できなかったことをお断りしておきたい。(編集部)
(イ)階級形成の構造
労働者階級は資本との闘争において自らを階級へと形成していく、この階級への形成こそ、敗北することの多い労働者のたたかいの「真の成果」である、という命題は、共産党宣言の中にくりかえし登場するマルクスの基本思想の一つである。この「階級への形成」とは何か、ということを具体的に明らかにすることが、組織論の主要な課題である。
まず、個々バラバラの労働者が、経済的要求をかかげて資本と闘い、この闘いを通して労働組合の必要性を学ぶ。さらに、労働組合運動の中で、労働組合の経済主義的な限界を知り、労働者階級の党を形成しなければならないことを理解する人たちが成長してくる。
このように「労働組合から党へ」という発展段階は、普通の組織論の教科書に述べられているものであり、一般に、労働者の党、または、社会主義政党というのは、労働者階級の団結の最高の段階として説明されている。
しかし、労働者階級の成長には「ここで終わりだ」という限界はないはずである。労働者党に組織された、比較的意識の高い労働者の中でも、さらに高く深い思想の成長がつづけられるはずである。したがって、その思想の発展段階に対応して、党の中に複数の思想グループが形成されることは、ある意味で必然的であるといわねばならない。この思想グループを一応、ここでは「分派」と呼ぶことにしよう。もちろん、ここでいう分派は、いわゆる派閥とは区別する必要がある。一般に派閥とは個別利書で結合された集団であり、社会党内の派閥も、この個別利害集団の性格を色濃く持っていると思われるので、ここで使う「分派」とはイメージを翼にすることを断っておきたい。
さて、思想グループとしての分派は、それぞれの思想の成長段階に対応して形成されるわけであるから、当然、比較的おくれた分派と、比較的すすんだ分派という形をとるはずであって、その中で最も進んだ分派を、ここでは「前衛的分派」とよんでおこう。
このように、労働者階級の成長段階は、組織的に表現すれば、労働組合→労働者党→前衛的分派というピラミッド型の構造をとるのである。
もちろん、これは基本構造であって、労働組合と党との間に、活動家集団やサークルのような、中間組織が作られたり、労働組合のないところに党組織が作られるというようなことは当然ありうるけれども、ここではそういう技葉のことは省略して説明をすすめていきたい。
注意してほしいことは、労働組合の中での党の彼割は、本来決して組合と対立するものではなく、労働組合をよりよく前進させることにあるわけであって、同様に党の中での前衛的分派の彼割も、党をいっそう前進させることが中心でなければならない。すなわち個別利害に結びついた人事争いではなくて、思想的に党全体を高めていく討論をつくり出すことこそ、前衛分派の任務でなければならないのである。
(ロ)階級成長の永続性
これまで、教科書的な組織論においては、「一枚岩の党」が理想とされてきたし、現在も「思想の統一」をしきりに力説する人がいる。もちろん、社会主義政党を前提とする以上、いくつかの階級的原則をふみ外してはならないことはいうまでもないことであるし、機関決定された行動の統一が保たれねばならないことも当然である。
しかし、共産党型の一枚岩原理、党中央の権威の絶対化がもたらすものは何か、ということは、深刻に検討されねばならない問題である。一枚岩、または「思想の統一」の名のものに行なわれる「異なる意見の排除」は、結局思想成長の停止と、無理に分裂していくセクト集団の不毛な争いを招かざるを得ないのである。このことは、共産党から排除された新左翼諸派がどのような道をたどり、また、共産党自身がいかに荒涼たる思想の不毛、思想の堕落におちこんでいるかを見ればはっきりするであろう。
党内に矛盾があってこそ、党は発展する、これこそ弁証法の基礎である。レーニンが「何をなすべきか」のトビラに、ラッサールの言葉を引用して「党内闘争こそ、党に力と生命を与える」と書いたのも、そういう観点から、理解されるべきだし、マルクスが、第一インターナショナルの出発に当って、労働者階級が共同の討論と行動の中からついに正しい道を見出すであろうという確信をよせたのも労働者階級の成長と、歴史の弁証法に対する深い理解に基づくものというべきであろう。
労働者の階級への形成とは、したがって、低い次元から高い次元へ、労働組合から労働者党へ、さらに前衛的分派へと不断に高まっていく運動の総体であって「労働者階級を代表する唯一の前衛党」などという党の絶対化は、弁証法的思想とは全く相容れないのである。
マルクスは、一八五〇年、共産主義者同盟への中央委員会のよびかけの中で、労働者が闘争の発展と共に、当初持っていたプチブル的幻想、ブチブルヘの従属性を次々と投げすてて、労働者自身の階級的利益を自覚し、階級性を純化していく過程を、永続革命とよんでいるが、これと同じ意味で、労働者が、労働組合、党、前衛分派というピラミッド構造を限りなく上に高めていく過程、階級性を高めていく過程を、階級成長の永続性、とよぶことができよう。
この階級形成の組織構造はまた、階級闘争の形態にも、基本的に対応している。エンゲルスは周知の如く、ドイツ農民戦争の中で階級闘争の三つの形態として、経済闘争、政治闘争、思想闘争を指摘しているが、この三つの闘争形態は、階級組織の基本構造としての労働組合、党、前衛分派の主要な機能を表現しているのである。しかし、このことは、図式的に狭く理解すべきではない。たとえば労働組合は政治闘争をしてはいけない、という形で理解するのは明らかに誤りであろう。
問題としている点は、労働組合の主な機能は経済闘争であり、労働者党のそれは政治闘争であり、分派のそれは、思想闘争である、ということであって、それ以上の意味を持っているわけではないのである。なお、紙数の関係で、ここで詳説することはできないが、権力を奪取する革命闘争の過程においては、新しい労働者の自己権力の組織、労働者協議会的なものが想定される必要のあることを指摘して省きたい。すなわち、革命闘争以前の、改良と抵抗の闘いの中では、日常的に階級形成が進行するのであるが、革命期には、この階級形成が爆発的に進行すると共に、そのいわば量から質への転化ともいうべき形で、権力形成=新しい労働者自治の組織が形成されるのである。いいかえれば、労働者革命とは、単に中央政治権力の移行=政治革命にとどまらず、全社会的規模において労働者が自己権力=自治権力を獲得していく社会革命として進行していくところにこそ、これまでの、すべての、少数者革命と区別される重要な意義を持っているはずなのである。
(ハ)マルクス主義組織論の系譜
偉大な思想家といえども、それぞれの時代状況=階級闘争の発展段階によって一定の制約を受けることは免れない。
マルクスとエンゲルスの時代にあっては、労働連動はまだ末成熟であり、階級組織の機能は未分化であった。それ故第一インターは労働組合と労働者党の混合組織にならざるをえなかったし、労働組合、党、前衛という階級成長の発展段階を体系化する組織論が確立されえなかったのも、むしろ当然であるといえよう。
マルクス主義の系譜の中で、はじめて体系的な組織論を提起したのは、レーニンの『何をなすべきか』であろう。レーニンがこれを書いた時代は、第二インターの内部に修正主義、経済主義が抬頭し、ロシア社会民主党の中にも右傾化の波がおしよせてきた時期である。彼は、この右傾化の波と闘い「曲った杖を逆に曲げる」必要を痛感した。彼は「自然発生的な労働運動の内部からは社会主義的意識は生まれえない。社会主義意識は、労働運動の外部から、インテリゲンチャによって持ちこまれねばならないし、そのためには、高度に中央集権的な党が建設されなければならない」と主張した。
このレーニンにおける「社会主義意識の外部注入、中央集権的党」の思想は、やがてスターリンによって「労働運動の上に立つ絶対不過誤の一枚岩前衛」としてひきつがれ、コミンテルン傘下の各国共産党の体質を、ただ党中央の権威にのみ盲従する奇型化した、成長停止した労働者の党として形成するのに彼立てられていくのである。
レーニン自身は、実践的には「批判の自由と行動の統一」の原則を掲げて党内における思想成長の道を開いていたのであるが、しかし、社会主義にとってまことに不幸であったスターリー時代の誤謬に対して「何をなすべきか」が全く責任がなかったとはいいきれないことも確かであろう。
「何をなすべきか」が書かれた時、マルクス主義者の間からも、批判が出されたが、その主要な人としては、ローザ・ルクセンブルグとトロツキーがあげられよう。
ローザは「現実に革命的な労働運動が、現実の中で行なう誤りは、歴史的には、最上の中央委員会の完全無欠さにくらべて測りしれぬ程みのり豊かで価値多い」として、歴史の主体としての労働者の成長に対する深い信頼を表明したし、トロツキーは「労働者階級を党が代行する結果、次には党全体を中央委員会が代行し、最後に中央委員会を唯一人の独裁者が代行するだろう」と予言して、レーニンを批判したのである。しかし、これら二人とも、政治的には敗北したという事実と、とくにトロツキーにあっては体系的な組織論を持たず、ただ革命運動の力学的、軍事的側面にのみ関心をむけていたために、マルクス主義組織論の系譜からは忘れられた存在になっていくのである。
その他、組識論上、注意すべき思想家として、グラムシとか、ルカ−チとかいう人がいるけれども、ここでは省略することにして要するに、われわれが常に立ち返らねばならない原則は、やはり第一インター出発に際してマルクスのとった態度「労働者の共同の討論と行動から生まれる成長への信頼」以外にはない、ということをくり返し強調しておきたい。
(イ)実態と可能性
現在の社会党の階級的性格を一言で表現するとすれば、プチブルと労働者の連合戦線党ということになろう。これまでの社会党は、大体において、労働者の現象的な(つまりプチブル的なものも含めて)政治意志を包括的に表現してきた。しかし、これから始まろうとしているきびしい階級対立の深刻化の時代にあっては、これまでのままの社会党の体質では対応しきれないことは明らかである。
すなわち、設備投資に支えられてきた高度成長経済が停滞に向い、はげしい国際競争の中で利潤率の低下に焦燥するブルジョアジーは、仮借ない政治反動と合理化攻撃をもって労働者に対立してくるわけであるから、労働者の側も従来のようなアベック闘争、または団交技術に依存する民同型のスタイルでは対応しきれなくなり、資本に対するドレイ的屈服か、徹底抗戦が、という厳しい二者択一を迫られるようにならざるをえないであろう。そうした労働者階級の状況に対応して、社会党もまた、労働者階級の党へ純化するか、プチブル的な党へ堕落していくかの二者択一を迫られることは明らかである。最近語られている「社会党の危機」の本質は実はここにあるわけだ。
今、社会党を労働者党へ純化することを妨げている要因は二つある。
一つは、活動的労働者党員の絶対的不足である。党員構成の70%を労働者が占めているとはいえ、その多くは、党活動を全くやらない労組幹部なのである。活動的労働者党員の絶対的不足こそ、労組機関依存、議員党体質、日常活動の不足、等々の欠陥を再生産させている根本的要因に他ならない。
第二の要因は、徹底的な討論の不足である。十分な討論を望む若い党員の声は、たいてい「マアマア主義」によって抑えられ、あいまいな結論しか引き出されない。そこに、決定された事項を実践しなくてもいいという作風が発生し、分散主義が一般化する。さらにこれに対する反動として、官僚主義が生まれ、再度、徹底的な討論が抑えられる。この悪循環を断ちきるためには、既成派閥を、思想的分派に改編して、徹底的な理論闘争を行なう以外にはないのである。
しかし、これらの欠点を持ちつつも、社会党を変革していく以外に、日本に革命的な労働者党を建設する道はないし、また社会党こそ世界の労働者党の中でも、純化の可能性を残す数少い党の一つなのである。
内部での階級的成長を許さず、従って、内部から変革されえない一枚岩原理の共産党にはもはや体制内的党への道しか残されていないし、労働者に階級成長の発展段階を一挙にとびこえることを要求する前衛主義の第三党コース(新左翼諸派)には、労働者の大軍に支持されえない少数イデオロギー集団の道しか約束されていないのである。
(ロ)社会党建設の具体化
社会党建設の第一の課題は、活動的労働者党員の拡大である。党勢拡大に、魔術的な処方箋はない。しかし重要なことは徹底的に下からの党建設をすすめることである。まず職場末端に活動家集団(サークル、闘争委員会、社青同等)を組織し、次に執拗な、手工業的なオルグ工作をくり返す。職場支部建設に成功したら、その力を総支部へ、総支都から都本部へ、さらに全体へと波及させる。この活動的労働者党員の拡大は、必然的に、党内のプチブル性との闘争、労働者党への純化の闘いを伴わずにはいないであろう(プチブル性とは、個別利書を、階級的利害より優先させようとする思想を指すものと考えられたい)。
この、下からの一点突破的な党建設と党内闘争の経験は、不十分ながら、品川総支部において実践されてきたものである。
党建設の第二の課題は、この、活動的労働者党員の拡大と並行して、徹底的な理論闘争を組織することである。この理論闘争の中で既成の派閥、個別利害と部分的に結びついた派閥を思想分派へ改編していかねばならない。すでに、最近、重要な政治問題については、既成派閥の中では意志統一ができず若い党員を中心として、派閥の流動化が始っていることは、思想分派への改編の意義を、事実をもって明らかにしているものといえよう。
この理論闘争の過程では、当然、綱領上の問題も討論されるであろうし、究極的には、最も説得力をもった前衛的な思想が、党の中枢をつらぬくようになるであろう。
ただし、この論争の中で原則的に守られなければならないルールは「批判の自由と行動の統一」である。実践活動を伴わない批判や、自分の派閥できめた行動以外は参加しないというような作風は、徹底的に弾劾されるべきである。
そして、最終的に、どの理論が正しかったがが検証されるのもやはり、その思想がどれほど実銭の試練に堪えることができ、どれほど労働者がそれを自分のものにすることができたか、という観点が規準となる他はないのである。
(イ)運動の構造と階級形成の構造
階級形成の構造がピラミッド型をとるのに対応して、大衆運動の構造もまた、一般にピラミッド型をとる必要がある。すなわち、突出した鋭い闘いと、それを支える幅広い大衆運動の有機的な結合である。こうした運動の立体的な戦線配置を理解せず、一律的な行動のワクをかけて、それからハミ出す部分をすべて排除する共産党のやり方は、大衆連動を生き生きと発展させることもできなければ、階級的成長を促進することもできない。
キリの先端となる一点突破的な闘いは、戦後の労働運動における青年行動隊とか、ストライキ戦術における拠点職場の設定等の如く経験的に労働組合指導者によっても採用されてきたものである。また、労働組合の中に作られる闘争委員会や、分裂した組合における少数第一組合の役割も、ピラミッドの頂点にあって、全体の運動を引き上げる牽引車となることである。
こうしたピラミッド型の戦線配置はまた、統一戦線における任務分担の方法としても採用されるべきであろう。たとえばかつての安保共闘のように政党や労働組合、大衆団体が一緒に参加している共闘組織の中では、すべて同一の行動歩調をとることには、本来無理があるのであって、学生や青年、労働組合、婦人団体等はそれぞれの組織の性格にふさわしい分野で、創意的な活動を開拓する任務が与えられてしかるべきなのである。統一戦線とは、画一行動ではなくて、共通の敵に対して、それぞれの力が結合され有効に打撃を与えるための戦術であるはずなのだから。
(ロ)運動の直接目標と真の成果
大衆運動がかかげる直接目標は、経済要求や、権利の拡大や、平和擁護等、一言でいえば、改良と抵抗の闘いである。これらの闘いは資本の弾圧によって敗れることが多いけれども、しかし労働者の闘いの真の成果は、直接目標の達成ではなくて、彼らの団結の拡大であり、階級への形成なのである。それは、具体的にいえば、労働組合、党、前衛分派のビラミッドが上に隆起していくことである。
しかし、この大衆運動と階級形成の関係についての誤った理解がいくつか見られる。
その一つは、党勢拡大という「成果」だけをあげることに熱中して、大衆闘争を推進することを忘れた日本共産党の誤りである。大衆闘争の前進のないところには、現象的な党勢拡大はあうえても、真の階級成長はありえないのである。
第二は、運動の直接目標を重視する余りに、大衆闘争を放棄して団交技術や議会内の駈け引きだけに埋没する請負い主義や、何がなんでも直接目標を完全獲得しなければ、という悲壮感しかない玉砕主義の誤りである。これは闘争の「真の成果」とは何かということを忘れている結果といえよう。
第三の誤りは、直接目標に対するセクト主義ともいうべきものである。たとえば、無原則的に「選挙闘争ナンセンス」とか「街頭闘争ナンセンス」とかいう傾向である。
一定の情勢の下で、闘いの重点課題が設定されることはもちろんあるけれども、しかし一般に、低い次元の運動だからナンセンスだという論理は正しくない。改良主義の幻想に満ちた運動であろうとも、大衆が未だその幻想を捨てきれず、運動の中からの階級成長の可能性がある限り、その大衆運動は大切にしなければならないのである。
さて、最後にわれわれの欠陥にふれねばならない。われわれは、運動の真の成果を「党勢拡大」へと具体化する努力がいちぢるしく欠如している。階級成長は無条件に自然発生的に行なわれるのではない。労働者党の組織者の意識的な努力こそ階級形成のために欠くことのできない条件であることを忘れてはならない。