作業中
1、プロレタリアートの階級的政治性
2、現代の「青年ヘーゲル派」
3、現代史の流れ
4、スターリン主義かマルクス主義か
5、理論・実践・組織の歴史的継承
6、日本革命の世界史的意義
資本制奴隷所有者の全体制に対する組織的反逆の意図を公然と表明し、資本に対する労働のあらゆる闘争において、労働者階級の歴史的任務――個々の不正ばかりでなく、不正そのものと対立し、矛盾の結果ばかりでなく、矛盾の前提そのものと闘い、すべての人間性を奪われているが故に、人間性の完全な回復の為に直立した巨人の偉躯をもって起ち上り、それと共に、全被抑圧人民の政治的解放と、それに止まらず人間的解放にまで導く外には、自己を解放し得ないところの、労働者階級の歴史的任務、すなわち、このプロレタリア共産主義革命の限りなく偉大な歴史的事業を前面に押し出し、この事業に自らの全行程をしっかり据えつけようと決意している、全国の革命的同志諸君に訴える。
真実の階級的政治指導が、現在、特別に要請されている最大のものだとすれば、わが同盟の現状はどうか?
我々の見るところによれば、わが同盟は、様々な労働者的諸団体の個々の特殊性の単なる寄せ集め以上を出ることが出来ず、特殊性の母斑を消滅した全階級的共通性を前面に押し出す真実の階級的政治指導の確立に極めて遅れているばかりか、ますますそれから遠ざかりつつある様にさえ思われる。
一方に単なる行動左翼、他方に単なる手工業的活動、頂点における指導の盲目性と底辺における極度の分散性、これらは、総じて、真実の階級的政治性=真実の革命性からほど遠いことを示し、又これは、“委員会屋”の跋扈する官僚主義の芽を育成することを示す。
これこそ、我々が革命的同志の厳しく注目されるよう訴える最初のものである。
日本プロレタリアートについて言えば、総評、全労、民同、民社党、社会党、共産党は、この指標の前に自らのあかしを求められなければならない。
又、ドイツ・プロレタリアートがナチズムの前に敗北したのはなぜであったか?
ドイツ社会民主党について言えば、“鉄前衛”の旗の下での、白色テロに対する防衛隊に護衛された演壇がヒットラーの登場に無力であり、他方、ドイツ共産党については、“鋼鉄の人”スターリンのもとでの頑迷な宗派主義(社会ファッシズム論と、その裏返しの多数者獲得にすぎぬ統一戦線工作)が、同じくヒットラーの制覇に犯罪的役割を果たしたのは何故か?
それらは共に一つの原因にもとづく。
つまり、二つの党はいずれも特殊利益の代表でしかなかった。すなわち、ドイツ社会民主党は個々の労働者諸団体の特殊利益の連合を超えるものではなく、ドイツ共産党はモスクワの特殊利益の前衛にほかならなかった。
しかも、これは一つの「過去」であるどころか、すぐれて今日的な、普遍的問題である。
各国社会民主党が、いわば近代的官僚主義で包囲された特殊利益の連合であり、事態がこの特殊利益を超えるべく強制する時は、常にますます、「国民的利益」の名の下に資本制社会の「共同利益」の擁護という犯罪におちこみ、その党の影響下の労働運動が個々の労働者的諸団体の経済的特殊利益の寄せ集めであり、その直接の延長である「組合主義的政治行動」の寄せ集めにすぎぬこと。各国共産党が、いわば前近代的官僚主義によって、下部からは絶対に変質され得ないように打ち固められた、それ自身モスクワの特殊利益の前衛であり、その指向する政治方針が「ただロシアの経験を神棚に祭って拝跪する」(レーニン)極めて執念深い宗派となり、その党の導く勢力がプロレタリアート総白痴化への努力の上にのみ築かれていること。これが、共産主義=革命的マルクス主義を放棄した、現代の主な政治状況である。それは一つの世界史的過程であったが故に、世界史的悲劇の本当の内容を構成したのであったし、今もそうであり続けている。
彼等諸「トロツキスト」は、原則性を強調する。そして、我々も然り。
しかし、彼等の原則は天国の原則であり、我々の原則は地上の原則である。
ここに、共産主義が科学とならねばならぬ最も深い根拠がある。黒田寛一氏は、このことを十分かつ徹底的に理解することができない。従って、彼等の原則は、簡単に破壊されたり、放棄されたりできるが、我々の原則こそは、プロレタリアートの大地に直接織り込まれており、それ故に、何者も破壊することができず、何者も奪い去ることができない。
従ってまた、彼等の分派闘争は、どんなに激烈なものであれ、本質的に神の国での宗派争いであり、それ故に強力な神の登場をもって終ることが出来る。我々のそれは、この地上での純化を目ざす、現実の生身をけずる分派闘争である。それ故に、この地上に原則とその帰結を実現し確立するまで終ることを知らぬ。
「トロツキスト」的文献の中に、『われわれの立脚点――逆流に抗して』(日本革命的共産主義者同盟全国委員会編『逆流に抗して』)というのがある。いかなる逆流に抗するというのか?
現代は、「東風が西風を圧倒する」時代だといわれる。
イタリア共産党書記長トリアッチは、いわゆる「スターリン批判」の歴史的会議だとされるソ連邦共産党第二〇回大会について、イタリア共産党中央委員会にこう報告した(一九五六年三月一三日)。「今日の情勢のもっとも重要な新しい要素」とは、「社会主義諸国家の体制が存在しているということ」であり、「社会主義諸国家の体制の存在は、世界の構造全体に、諸国家のあいだ・政治的諸潮流のあいだ・一般に人間相互のあいだの関係の発展に、質的な影響をおよぼしている」と。
つづく一九五七年一一月一四日〜一六日、モスクワで開かれた社会主義国の共産党・労働者党代表者会議の宣言は、「われわれの時代には、世界の発展は二つの対立する社会体制の競争の経過と結果によって決定される」と述べている。
そして、一九六〇年一一月の八一ヶ国共産党・労働者党代表者会議の声明は、「われわれの時代のおもな特徴は、社会主義世界体制が人類社会発展の決定的な要因に転化しつつある点にある。……社会主義世界体制は実例によって、資本主義世界の勤労者の意識を革命化し、資本主義に反対するたたかいへとかれらをふるいたたせ、このたたかいの条件を大いに有利にしている」と宣言した。
今や各国共産党は、マルクス・エンゲルスが、その『共産党宣言』に公然と表明したプロレタリア的歴史観、「すべてこれまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である」と宣言したこの歴史観、全ブルジョア世界に死の衝撃を与えてきたこのプロレタリア的歴史観に背を向けて、“社会主義世界体制の実例”を「人類社会発展の決定的要因」だと公言し、現実の生きた階級闘争の全過程ではなく、その一つの転化された表現形態にほかならぬこの“社会主義世界体制の実例”に、歴史創造の神の力を認めている! 一貫して主軸となっているこの思潮は、二〇世紀世界を時間的にも空間的にもその半分までも占めるに至った、あの古くさいソ連邦中心主義の新たな表現であり、その死にきれぬ亡霊の新たな装いである。そして、この八一ヶ国宣言は“現代の共産党宣言”だとされているのである!
さて、スターリンという絶対精神が分解した後、その切れはしから生まれた神々たちは、“社会主義体制の実例”を前面に押し出して、天国から地上に秋波の流れを送っている。いわゆる「トロツキスト」は、この流れに抗することを、自分の“立脚点”だと称するのである。
我々のとる立脚点が、真実に現実的なものであり得るのは、ただ現実的で本質的なものに対してだけである。天国ではなくこの現実世界においては、ただ現実的なものに全面的に対立する時にのみ、自己の立場が普遍的に現実的なものたり得るのである。
もし、現実の皮相な外観や仮象及びその外観や仮象の上にのみ棲息するものに対して一面的に対立することを自らの立脚点だとするならば、主観的に自分をどう想像しようとも実際には、その立場は一面的抽象的たることをまぬかれることはできない。
そこで「トロツキスト」が立脚点として抗する「東風が西風を圧倒する」流れとは、現実的で本質的なものであるか? “社会主義世界体制の実例”は現実に「人類社会発展の決定的要因」にますます成りつつあるのか?
もし、そうであれば彼らの立脚点は少くとも現実的ではあり、もし、そうでなければ、彼らのそれは、非現実的抽象的一面的であることを示すであろう。
そこで我々は、この現代の“宗教会議”が宣言した現代史観の検討をしなければならぬ。
だからこそ、現実の生きたプロレタリアートと、その階級闘争の上に君臨するべく打ち固められた王国―天国=観念界の中に安逸を貪る諸「スターリニスト」たちは、今や“社会主義世界体制の実例”をふりかざして地上に呼びかけている時、天国に安らう“席次”を確保すべくバスに乗りおくれまいと急ぐ“先進的部分”や、“実例の力”の静かな一般化という期待にただ野合することに端的に示されているところの、“社会主義世界体制の実例”へと向う流れは、決して進歩を意味するのではなくて、逆に退歩を、さらに反動をも意味する。この流れはいかに現実的で、ますます強力に見えようとも、決して現実的で本質的なものではなく、現実の皮相な外観、一つの仮象にほかならない。このことは理論によってばかりではなく、すでに事実をもって証明されつつあるのである。
八一ヶ国共産党宣言の背景をなしている、いわゆる“中ソ論争”やトリアッチ主義の一層の擡頭の示すものは、“社会主義世界体制の実例”が現代史の“決定的要因”であるとするその公言された立場に事実が背反して、逆に、「日を追って威嚇的に成長しつづけている」各国プロレタリアートの「巨大な体躯と広い肩」は、今やこの現実世界の大地に深く根を張り、天国の風向きによって、簡単に振りまわされ、従属され得ない点にまで達しつつあることを証明しているのであり、地上=現実世界の、巨人の如き生きたプロレタリアートが、自らの内部に共産主義的原則を骨肉化し得ないでいるが故に、現代における神の国(=各国共産党の疎外された世界)が、それに「適応」すべくあせる時、常に、ブルジョア平和主義や民族主義、それに“社民”化へとゆれ動かざるを得ない適応ぶりを示すのである。
以上の語ることはこうである。“社会主義世界体制の実例”へと向う流れは、現実的で本質的なものでは決してなく、それ故に歴史的論理的なものではなく、それ故に、歴史の現実の合法則性から日々にはじき出されて、反動の群れに転落しつつあること。
歴史の真実の流れは、やはり、地上=各国プロレタリアートの生きた闘争から、天国=各国共産党の疎外された世界へと押し寄せているのであり、現象のみせかけ上の外観で構成されたその逆の流れを、現実の過程そのものが掘りくずしつつ、“社会主義世界体制の実例”のすべてもこの流れの中にまき込んで自分のものにせずにはおかない。
この意味において、現代の世界史は、いわば「西風が東風を圧倒する」時代であり、「東風が西風を圧倒する」のではなく、少くとも優位にたつモメントではないのである。
諸「トロツキスト」も、現代世界史の決定的要因は、両体制間の対立ではなく、二大階級間の矛盾であることをたしかに認識したと称した。彼らはいった。「分析の視点」が問題であると。こうして彼らの称揚する“転換”も実際には、認識主観の転換にすぎぬことを暴露し、実際には、“体制間の対立”は後方の現実世界にもとのままの姿でとり残して、それが現実的で本質的なものであるかの如き錯覚にひそかにひたり、「逆流に抗して」と叫ぶのである。一般に、あらゆる主観主義、主意主義は、自分自身を自分で確証している現実に、疑うべからざる確固さでぶつかるや、必然的に存在と意識の二元論にくだける。そして、不可避的に、存在と意識の両方を、荒唐無稽な、あるいは、俗っぽいものにするのである。彼等は階級矛盾を、本質論的論理的に“解釈”しただけであって、本質的現実的それ故に論理的歴史的なものとして把握することができなかった。そこで我々は、一つの結論を得る。
『イスクラ』第一号でレーニンはこう言った。「社会民主主義(引用者註、共産主義)は労働運動と社会主義との結合である。……社会民主主義から切りはなされた労働運動は卑小化し、不可避的にブルジョア性に陥る。」(『われわれの運動の緊要な諸任務』)
レーニン主義=ボルシェヴィズムの基礎的諸命題を集中的に展開している『何をなすべきか?』では次のように述べられている。
「労働者は、自分たちの利害がこんにちの政治的・社会的体制全体と和解しえないように対立しているという意識、すなわち社会民主主義的意識を持っていなかったし、また持っているはずもなかった。」
「われわれはいま、労働者は社会民主主義的意識を持っているはずもなかった、と言った。この意識は外部からしかもたらしえないものだった。労働者階級が、まったく自分の力だけでは、組合主義的意識、すなわち、組合に団結し、雇主と闘争を行い、政府から労働者に必要なあれこれの法律の発布をかちとるなどのことが必要だという確信しか、つくりあげえないことは、すべての国の歴史の立証するところである。他方、社会主義の学説は、有産階級の教養ある代表者であるインテリゲンツィアによって仕上げられた哲学、歴史学、経済学上の諸理論のうちから成長してきたものである。近代の科学的社会主義の創始者であるマルクスとエンゲルス自身も、その社会的地位からすれば、ブルジョア・インテリゲンツィアに属していた。ロシアでもそれと全く同様に、社会民主主義派の理論的学説は、労働運動の自然発生的成長とはまったく独立に発生した。それは、革命的・社会主義的インテリゲンツィアのあいだでの思想の発展の自然の不可避的な結果として発生したのである。」
「もちろんこれは、労働者がこのイデオロギーをつくる仕事に参加しないということではない。ただ彼らが参加する場合には、労働者としてではなく、社会主義の理論家として……参加するのである。」
「階級的政治的意識は、外部からしか、つまり経済闘争の外部から労働者と雇主との関係の圏外からしか、労働者にもたらすことができない。」
「労働者階級の組合主義的政治とは、ほかならぬ労働者階級のブルジョア的政治なのだ。」
こうして、レーニンの「外部からの意識のもちこみ」論を“整理”するだけで、殆ど直接的にこの命題の核心がはっきりしてくるのである。すなわちこうである。
共産主義がプロレタリア運動として一元的に把握されるのではなくて、完全に二元論的構造をなすものとして把えられている。つまり存在と意識の二元論として。共産主義的意識の担い手は革命的・社会主義的プチブル・インテリゲンツィアであり、プロレタリアートはその意識を生み出し得ない単なる存在とみなされている。共産主義運動は、階級的根源を異にする二つの“実体”的運動の結合とみなされ、両者の関係は生成(=否定)する関係ではなく機械的な相互関係であり、共産主義的意識とプロレタリアの存在(=生活と闘争の過程)との間には弁証法的関係を確認しえない。レーニンとレーニン主義者=ボルシェヴィキは理論的意識だけを真に共産主義的意識とみなして、その担い手を社会主義的理論家に帰着させ、プロレタリアートの生み出す実践的意識については、そのきたならしいブルジョア的意識にすぎぬとされる労働組合的意識だけを認めて、それを固定的に把握する。
プロレタリアートは、意識的存在となるや否や、プロレタリアートではなくて社会主義的プチブルの仲間入りをする。プロレタリアートが意識を生み出すや(あとに見る如く実際には生み出しうるのであるが)その意識は向うへと逃げ去って、社会主義的プチブルのまわりに固着し、完全に他在=疎外となる。
したがって我々は言わねばならない。レーニン主義=ボルシェヴィズムにとって、解放の真の主体は、現実の生きたプロレタリアートではなくて社会主義的理論家=革命的プチブルが主体となっている! レーニンの「外部からの意識のもちこみ」論は、共産主義=革命的マルクス主義の基底的原則――「労働者階級の解放は労働者階級自身の行為でなければならぬ」とする基底的原則への断固たる決裂と背反の始りであった! それはプロレタリア解放闘争の自己疎外の過程の開始であった!
もっと詳しく検討しよう。
レーニン主義=ボルシェヴィズムの基底的原則、すなわち、「外部からの意識のもちこみ」論は、二重の誤りによって構成されている。つまり、プロレタリア解放闘争の実践的意識に関する誤った認識と、その理論的意識に関する誤った認識と。そして、この二重の誤りは、プロレタリアートという存在についての誤った把握という一つの共通な基盤に基づいている。
誤りの第一。
一体、意識とは何か? マルクス主義者は、“意識をも人間の意識にすぎないもの”とみなすことを知っている。「意識というものは意識をもった存在以外のものでは決してあり得ないし、人間の存在とは人間の現実の生活過程に他ならない。」(『ドイッチェ・イデオロギー』)
そこで疎外された独立王国を構成する抽象的観念=イデオロギーではなくて、実際的な実践的意識についていえば、意識の生産は「人間の物質的活動および物質的交通の中に直接織り込まれている」(前掲書)し、「物質的行為が直接流れ出たもの」に他ならない。意識とは「人間の物質的生活過程――これは種々の物質的前提に結びついており、経験的に確認することが出来る――から必然的に発生する昇華物である。」(前掲書)
つまり、意識とは人間存在の意識に他ならない。人間の存在とは人間の生活過程である。意識は存在=生活過程に直接織り込まれているのである。
そこで、プロレタリアートがいかなる意識を生み出し、また生み出し得るかという問題は、プロレタリアートがいかなる存在=生活過程=実践としてあるかということのなかに合理的な解決を見出す。
プロレタリアートとは、いかなる存在=生活過程=実践であるか? マルクスの全体系の核心として、我々がマルクスに学ぶ解答はこうである。
「それは、ラディカルな鎖につながれた一つの階級……市民社会のどんな階級でもないような市民社会の一階級、あらゆる身分の解消であるような一身分、その普遍的苦悩のゆえに普遍的性格をもち、なにか特殊な不正ではなしに不正そのものをこうむっているためにどんな特殊な権利をも要求しない一領域、もはや歴史的な権原ではなくただ人間的な権原だけをよりどころにすることができる一領域、ドイツの国家制度の帰結に一面的に対立するのではなくその前提に全面的に対立する一領域、そして結局社会のあらゆる領域から自分を解放し、それを通じて社会の他のあらゆる領域を解放することなしには、自分を解放することのできない一領域、ひとことで言えば、人間の完全な喪失であり、したがってただ人間の完全な回復によってだけ自分自身をかちとることのできる領域……社会のこうした解消をある特殊な身分として体現したもの、それがプロレタリアートである……自然発生的に生まれた貧困ではなく人為的につくりだされた貧困が、社会の重圧によって機械的におしさげられた大衆ではなくて社会の急激な解体とりわけ中間身分の解体から出現する大衆が、プロレタリアートを形成する」(『ヘーゲル法哲学批判序説』)。
プロレタリアートは、資本制社会の矛盾の結果に一面的に対立する存在ではなくて、矛盾の前提に全面的に敵対する構造をもった存在である。こう把握しなければならない。
したがって、プロレタリアートのこうした存在=生活過程に直接織り込まれている意識の生産についていえば、プロレタリアートは、単に「組合主義的意識」ばかりか、“矛盾の前提に全面的に敵対する”意識すなわち共産主義的意識を多かれ少かれ――とにかく“究極的”には――生み出す、と言わねばならぬ。
もしプロレタリアートが矛盾の結果に一面的に対立する存在にすぎないならば、プロレタリアートのブルジョア意識にすぎぬとされる組合主義的意識しか生み出せないと考えることもできる。しかし、この場合、矛盾の前提に全面的に敵対する意識としての共産主義的意識を外部から持ち込まれたにしても、この矛盾の結果に一面的に対立するにすぎぬ存在には、理解されもしないし、たとえ理解しても決して階級として実践することはできない。またもし、プロレタリアートが矛盾の前提に全面的に敵対する存在であるということを認めるにしても、矛盾の前提に全面的に敵対する意識としての共産主義的意識を自分で生み出すことができず、この意識は、この存在を外部から理論的に把握することによってのみ得られ、この存在に外部からのみもたらされ得るのだとするならば、それは全くの誤りである。存在と実践とは結局同一であり、革命的存在とは本質的には革命的実践に他ならないのであるが、この革命的存在=革命的実践は、革命的実践意識が、一滴も「直接流れ出ることをしない」というのである! 「物質的行為が直接流れ出たもの」として、生活過程に実践的意識が「直接織り込まれている」はずにもかかわらず。
ここで見る理論にとっては、共産主義は要するに“理論”であり、プロレタリアートという存在は、向うにある単なる客観、せいぜい客観的運動とみなされる。このプロレタリア存在を主体的活動としては、すなわち実践としてはとらえられていない。「これまでのすべての唯物論(フォイエルバハを含めて)のもつ主要な欠点は、対象、現実、感性がただ客体または直観という形式でとらえられるだけで、感性的な人間活動、実践としては、すなわち主体的にはとらえられていないことである。」(『フォイエルバハに関するテーゼ』)
レーニンが「きわめて正しく又重要な言葉」として引用しているカウツキーの『ノイエ・ツァイト』の中の論文には、次のような言葉がある。
「……社会主義的意識は、プロレタリア的階級闘争の必然的な、直接の結果であるかのようにみえる。だが、これはまちがいである。なるほど学説としての社会主義は、プロレタリアートの階級闘争と同じく、こんにちの経済関係のうちに根ざしており、またそれと同じく、資本主義のつくりだす大衆的貧困と大衆的悲惨とに対する闘争のうちから発生してくるものである。けれども、この両者は、一方が他方から生まれるのではなく、並行的に生まれるものであり、またそれぞれちがった前提条件のもとで生まれるのである。近代の社会主義的意識は、ただ深遠な科学的洞察をもととしてはじめて生まれうる。……ところで、科学の担い手は、プロレタリアートではなく、ブルジョア・インテリゲンツィアである。……だから社会主義的意識は、プロレタリアートの階級闘争のなかへ、外部からもちこまれた或るものであって、この階級闘争のなかから、原生的に生まれてきたものではない。」
この言葉は、共産主義的意識が、ただ理論的意識にすぎない限りにおいて大体正しいといってよかろう。しかし、全体としては誤っている。なぜなら、共産主義的意識はプロレタリアートの存在に分ちがたく結びつけられた意識、何よりも先ず革命的な実践的意識であり、この意識こそ歴史において本当の現実性と力とを示す意識なのである。実践的意識としての共産主義的意識は、まさに、プロレタリア的階級闘争の原生的に生み出すものである! レーニンは、カウツキーと共に、“理論”だけを共産主義的意識とみなして、これを固定してしまった!
プロレタリアートの存在(=生活過程=実践)は、ブルジョア奴隷制の結果に一面的に対立するのではなく、その前提に全面的に敵対する。これがこの階級の存在の秘密である。この存在の秘密が鋭角的な姿をもって露呈されるとき、すなわち、プロレタリア的人間存在の大量的変化が明白な現実となるとき、その時こそ共産主義的意識の大量的産出の根拠が与えられ、この時こそ、プロレタリアートが共産主義的意識を生み出し得ることを、すべてのものにはっきりと見せつけるであろう。
わがプロレタリアートは、その革命的激動の中で意識の遅れをとらないためにこそ、共産主義の諸原則を血肉化すべく闘っているのではないか? マルクス・エンゲルスの次の言葉は、以上の如く理解されなければならぬ。「共産主義的意識の大量的産出のためにも、また事業そのものの貫徹のためにも、人間の大量的な変化が必要であり、そしてこれはただ実践的な運動すなわち革命においてのみ、おこりうるのである。」(『ドイッチェ・イデオロギー』)
以上のことから我々は、次の結論を得る。レーニン主義=ボルシェヴィズムは、プロレタリアートが階級意識=共産主義的意識を生み出すことを否定し、それとともにこの意識を体現する自分自身の党を生み出すことを否定する。プロレタリアートの階級意識とプロレタリアートの党は、プロレタリアート自身が生み出すのではなくて、プロレタリアートの外部から与えられる他はないとされている! 従って、レーニンの“前衛党”は、厳密にはプロレタリア党ではない。それは社会主義的中間層の支配する党、完全に“観念とされたプロレタリア”の党である。この党は、全プロレタリアに完全に超越した党である!
真実の共産主義=革命的マルクス主義者ははっきりとかつ徹底的に次のようにいわなければならぬ。
プロレタリアートは、単にプロレタリアートのブルジョア的意識にすぎないとされる組合主義的意識ばかりでなく、多かれ少かれ、階級的利害の全面的対立という階級意識を、現状を廃棄=転覆しようとする政治的意識を、要するに共産主義的意識を生み出すし、生み出すことができると。したがってプロレタリアートは、単に労働組合ばかりでなく、自分自身の党をも自ら生み出すし、生み出すことができると。この重大な事実を、さまざまな口実をもうけてあいまいにし、否定するものは、少くとも根底的には、断じて共産主義者、革命的マルクス主義者ではあり得ない。だからこそ『共産党宣言』は言っている。「プロレタリアートはこうして階級へ、それとともにまた政党へ組織される」と。
レーニンにおける「外部からの意識のもちこみ」論の誤りの第二。
この第二の誤りはある意味では一層重大である。それはこういう問題にかかわる。――なるほど、プロレタリアートが実践的意識としての共産主義的意識を生み出すことは認めよう。しかし、教養を奪われているプロレタリアートは、理論的意識、すなわち解放の科学的理論を生み出すことはできないではないか?……と。
この問への解答は、実は『共産党宣言』に正しく述べられているのである。すなわち次のようだ。
「ブルジョアジーはたえまなく闘っている。はじめは貴族に対して。のちにはブルジョアジー自身の中でその利益が工業の進歩と矛盾するようになった連中に対して。そしてまたつねにすべての外国ブルジョアジーに対して。これら一切の闘いにさいして、ブルジョアジーはプロレタリアートに訴え、その助けを要求しないわけにはゆかず、こうしてプロレタリアートを政治運動のなかに引きこむ。こうしてブルジョアジー自身が自分自身の教養的要素を、すなわち自分自身に向けられる武器を、プロレタリアートに供給するのだ。
そのうえ、すでに見たように、工業の進歩によって、支配階級のあらゆる構成分子は、投げ出されてプロレタリアートにおちるか、あるいは少くともその生活条件をおびやかされる。この連中もまたプロレタリアートに大量の教養的要素を供給する。
いよいよ階級闘争が決着に近づく時期になると……支配階級の一小部分は自分の階級と縁を切って革命的階級に、未来をその手ににぎる階級に結びつく。つまり、かつて貴族の一部がブルジョアジーに移行したように、こんどはブルジョアジーの一部がプロレタリアートに移行する、とくに、歴史の動き全体の理論的理解に努力してきたブルジョア思想家イデオローグ☆の一部が。」
さらに『資本論』や『ゴータ綱領批判』の中には、産業の要請からしても、プロレタリアートに教育を与えていくことが述べられている。
以上の文章から我々がはっきりと読みとることはこうである。プロレタリアートに教養的要素を“供給する”者(プロレタリアートの立場に移行したブルジョア・インテリゲンツィアその他)が解放の意識的担い手=主体なのではなくて、この教養的要素を自らの「武器」として“獲得した”者、すなわちプロレタリアートが主体であることである。『共産党宣言』は明確にそのようなものとして書かれているではないか? すでに見て来た如く、レーニンはこれを「逆立ち」させた。
この問題を、理論の意義と性格の問題としても、さらにたちいって問いつめなければならない。
マルクスは『聖家族』の中で有名な次の言葉を述べている。
「あれまたはこれのプロレタリアが、あるいは全プロレタリアートそのものが、さしあたり何を目的としておもいうかべているかが問題なのではない。問題は、プロレタリアートがなんであるか、また彼の存在におうじて歴史的に何をするように余儀なくされているか、ということである。」
理論的意識は、プロレタリアートの“存在”を科学的に理解することによって、プロレタリアートが“何をせざるを得ないか?”を洞察することができる。ところでこの場合、すでに述べたように、この“存在”が究極的には自分自身の“存在”に即応した実践的意識すなわち共産主義的意識を生み出すからこそ事態を貫徹させることができるのである。だからこそ、理論的意識が、“プロレタリアートが彼の存在におうじて歴史的に何をするように余儀なくされているか”を理解することができるのである。プロレタリアートが意識をぬきにした“単なる存在すなわち物質の自己運動”として与えられ、存在を理論的に認識したものを「階級意識」と称して外から注入するという風に考えたところに、レーニンが、存在と意識の二元論に陥り、プロレタリアートとその運動を単なる物質とその物質的運動として固定的にとらえ、“理論”の体現者としての社会主義的中間層に支配的役割を与えた誤りが構成されたのである。理論的意識と実践的意識との混乱した理解に対しては、マルクスの次の言葉が重要である。「頭脳の中に思惟全体として現われる全体は、思惟する頭脳の産物であって、頭脳は、世界を自分に可能な唯一の仕方で領有する。それは、この世界の芸術的な、宗教的な、実際的精神的な領有とちがった仕方である。実在する主体は、依然として頭脳の外にあって、その独立性をもっている。すなわち頭脳がただ思弁的に、すなわち、ただ理論的にふるまうかぎりでは。それゆえに、理論的方法においても、主体、すなわち社会は、つねに観念の前に前提として浮ばなければならない。」(『経済学批判序説』「第三章経済学の方法」)
「実践的精神」=実践的意識を含んだ存在を、頭脳が自分で可能な方法でとらえるのが理論的意識である。理論の前に、共産主義的意識を多かれ少かれ流し出している主体=プロレタリアートが「前提として浮ばなければならない。」
さて、『聖家族』の中のかの命題でも暗示されているように、理論ないし「哲学」がプロレタリアートの存在を正確にとらえればとらえるほど、その理論や「哲学」はプロレタリア化されて、プロレタリアートにしっかりと把握され得るものとなり、プロレタリアートの実践的意識を確固としたものとし、一層明確な展望をもったゆるぎないものとしていく。
レーニンは、次のように考えた。「労働者階級は自然発生的に社会主義に引きつられる、としばしばいわれている。この言葉は、つぎの意味では全く正しい。すなわち、社会主義理論は、もっともふかく、またもっともただしく労働者階級の困苦の原因を規定しているので、もしこの理論自身が自然発生性に降伏さえしなければ、もしそれが自然発生性を自己に従属させさえすれば、労働者はこの理論をきわめて容易にわがものとする、という意味である。」(『何をなすべきか?』)
しかし、我々は、ここで非常に重大な問題にぶつかる。すなわち、純粋にプロレタリア化している理論や「哲学」は、なるほどプロレタリアートの行く手を、プロレタリアート自身以上にはっきりと知っているであろう。その意味では、つまり理論的には「前衛」であろう。もしこのことからして、この理論や「哲学」を、純粋に確保するものは、実践的にも、つまり、現実にも、「前衛」であることを主張できるか。レーニンはこれを肯定した。なぜなら彼にとっても階級意識とは理論的意識であり、これはプロレタリアートの外からのみ与えられるものであり、何よりも、社会主義理論家がその意識の生産者で担い手だとされているのであるから。従ってレーニンの帰結をはっきりさせれば、要するにプラトンの「賢人政治」である。全プロレタリアートが現実には望まないにしても、その望みを“本質的に”知っているはずの社会主義的理論家集団(この集団も少くともその賢さの程度で実際にも序列がつくられざるを得ない――精神的階級秩序)は、もし可能ならば(例えば権力を確保しているならばその権力を用いて)何をやってもよいのであり――つまり本質的には、共産主義運動を、現実のプロレタリアートの運動ではなく、階級制でかためられた革命的中間層(社会主義的理論家)の運動とするのであり――それをやらないときはただ、プロレタリアートという物理力の支持がない、つまりやる道具が足りず、この物理力が抵抗さえするからである。これは要するに「帝王学」である。すなわち、「民の心を心とせよ。そうすれば世は治まり、そうせざれば世は乱るるなり」である。したがって世界史に屈指の権力主義者スターリンはいった。「ボルシェヴィキが人民の広汎なる大衆と連繋を保持している間は、ボルシェヴィキは、打ち勝ち難いものであるということを、法則として認めることができる。そして反対に、ボルシェヴィキが大衆からはなれ、彼らとの結びつきを失うにいたり、官僚主義的錆で覆われるようになると、彼らは、あらゆる力を奪いとられつまらぬものになってしまうのである」(『党活動の不充分について』)。そして、帝王が農民を最大級の讃辞で語る如く、スターリン主義はプロレタリアートへの讃辞の雨を降らせ、実際には救済さるべき奴隷とされていることをかくすのである。これに対してプロレタリアートは憤激し、弾劾し、抗議し、転覆しなければならない。
そこで、社会主義理論を純粋に護持する“理論家”がただちにプロレタリアート解放闘争の実践的「前衛」つまり「党」であるとするのは正しいのか? 我々はこれには、はっきりと答えなければならない。それは共産主義=革命的マルクス主義への決定的な背反である、と。
何故か?
マルクスは、その『ヘーゲル法哲学批判序説』の中で次のように言った。「思想が実現にむかってつきすすむだけでは充分でない。現実が自分を思想におしつけなければならないのだ。」すなわち、社会主義的な理論ないし「哲学」を純粋にプロレタリア化するだけでは充分でない。プロレタリアートが自分を理論ないし「哲学」におしつけなければならない。そこでこういう諸君がいるかもしれぬ。――それはレーニンとの区別にはならない。レーニンが言ったのは、理論のプロレタリア性を保持していれば、プロレタリアートが特に一定の情勢で理論におしつけられるとき、より正確に理論をわがものにすることができると言ったのである、と。諸君、いかにもその通り。マルクスのこの引用のかぎりでは。だがマルクスはヘーゲルと一切の観念論の根底的な批判の中でそういったのだ。つまり、マルクス主義は現実を主語にしたのであって、思想を主語とする一切の観念論を転覆したのである。現実が主体であり、プロレタリアートが主体なのであって、理論が主体なのではない。レーニンはこれをふたたび「逆立ち」させることによってマルクス主義を全体としてヘーゲル主義に、観念論にしているのである。社会主義理論が自分自身で先天的に真理として自己展開するものとされているのである。
そこでただちにこういう諸君がいるかも知れぬ――とんでもない! 実践こそは真理性の尺度だとされていることを知らないのか、と。諸君はだまされている。この程度のことを多かれ少かれ承認しない観念論はないのである。理性ないし精神の自己展開としての歴史観を最も典型的に代表しているヘーゲルにおいても、理性から理性への発展を現実世界で働く非理性を媒介としてしか不可能であった。諸君はマルクス主義における実践をこのヘーゲルのいわゆる「理性の狡智」という概念と同じものにしてしまっているのである。
マルクスの次の言葉は、実践をただ認識論の一部にする人たちによって非マルクス主義的にとらえられてしまって来た。
「人間は自分の思考の真実性すなわちその現実性と力を、またその現世的性質を、実践において証明しなければならない。思考を実践から遊離させておいて、思考が現実的であるか非現実的であるかといって争うのは、純粋にスコラ哲学的問題である。」(『フォイエルバハに関するテーゼ』)
この命題は、真理の尺度としての実践の問題、更には卑俗化されて、“やってみなければわからない。いや、やってみなくてもわかるものがある”という議論としての問題に切りつめられている。しかしこの命題はなによりもまず“存在論”にかかわるものである。人間という存在は要するに社会的な生活過程であり、「いっさいの社会生活は、本質的には実践的である。」だから理論が地上的存在としての人間=実践の中に据えつけられているときはじめて理論は現実的な力として現実に存在するものになるのである。
したがって我々はこう結論しなければならぬ。
マルクス主義理論も、いかにそれがプロレタリア性を純化していようとも、それだけでは、また社会主義的理論家をその担い手としている限りでは「現世的」に、“存在しないもの”とされるべきであり(したがってその“プロレタリア性”を理由に現実のプロレタリアートを実践的に代表する資格がなく)、その理論が革命的プロレタリアートに担われる限りで、その限りで、本当に「現世的に」“存在するもの”となるのである。
社会主義的理論家はプロレタリアートの存在をいかに深く認識しているにしても、自分自身が前衛党になると考えてはならない。プロレタリアートの党とは、革命的な実践的意識のなかに理論を武器として獲得した、現実の生きたプロレタリアート自身の党だけである。
だからレーニンの党は社会主義的理論家の支配する党、プチブル的「前衛党」、抽象的観念としてのプロレタリアートの党であり、決して生きたプロレタリア的前衛党ではない。レーニン主義は社会主義理論がプロレタリアートを担い手とする前に理論が現実的力をもったものとすることによって、理論を主語にプロレタリアートを述語にしている!
マルクスは共産主義者としてのマルクス主義者の理論的優越については、淡々とただ次のようにのべている。「共産主義者は、……理論的には、プロレタリア運動の条件、歩み、および一般的結果を見とおす点で、プロレタリアートのほかの集団にまさっている」と。帝国主義段階ではプロレタリアートは、マルクス主義理論をより豊富により確固として身につけるべくできる限り歩調を早めなければならない。しかしレーニンのように「逆立ち」することは、逆に失敗の要因とならずにはおかない。
以上に見て来た如く、レーニンの党は思想後見人の党となって行く。強力な思想家を頂点としたこの社会主義的理論家の集団はその護持する理論が現実のプロレタリアートによって変質されたら元も子もなくなるものである。そこで、党の思想は現実のプロレタリアートや下部党員によっては、絶対に変更されてはならぬことになる。変化は頂点からだけ起る。スターリン主義の下で理論に誠実たろうとする者の真の悲劇はこうした党構造への無知である。かくして「イデオロギー打倒の道具」であるマルクス主義は逆にイデオロギーとなり、さらにはっきりと「公認理論」となって「社会主義的意識」の独立自行が展開する。マルクス主義は全体としては一つの宗派主義へと、科学は独断論へと転化されて行く。この自己展開は人格的表現をとる。かくしてレーニンからスターリン、フルシチョフ、毛沢東、トリアッチ等への絶対精神の自己展開は、レーニン主義=ボルシェヴィズムが全体としてはヘーゲル主義の完成された現実形態であることを指し示している。だからこそ我々は現代の「スターリニスト」と「トロツキスト」の争いは、「老ヘーゲル派」と「青年ヘーゲル派」の争いと本質的に同じだというのであり、それらすべての闘争を、天国=観念界の巨人の闘いだとするのである。
レーニンの党は、思想が出発点であり、「天から地上へ降りようとする」。本当の意味の労働者党は、現実の闘争が出発点であり「地上から天へ登ろう」とする。前者は純粋な思想がそのままふくれる非弁証法であり、後者は思想を創造的に獲得する弁証法である。前者は思想の固定であり、後者はマルクス主義の純化をめざす不断の闘いによるその進歩である。
ヘーゲルの死からマルクス主義の確立までの間、青年ヘーゲル派運動というかたちの過渡期があった。そしてマルクス・エンゲルスの死後、共産主義は、二〇世紀的ヘーゲル主義の支配するところとなったが、レーニン主義=ボルシェヴィズムの「逆立ち」を直立させること、述語を主語にすること、現実の生きたプロレタリアートが直立した巨人として、世界史の舞台に完全な主人公(=主体)の雄姿を示すことなしには、共産主義=革命的マルクス主義の真の創造的復活は決してあり得ないのである。
以上の全てから、我々は次のように断言してよい。
レーニン主義=ボルシェヴィズムの基底的原則は、マルクス主義の基底的原則を正確に逆立ちさせたものである。それは「労働者階級の解放は、労働者階級自身の行為でなければならぬ」とする第一インターナショナル規約前文冒頭の原則からの断固たる背反である。それは、非マルクス主義というよりは反マルクス主義であり、反プロレタリア体系である。それは“存在”と“意識”の完全な二元論であり、解放の意識的な担い手は、労働者階級自身ではなくて、社会主義的中間層であり、現実の労働者階級はその補足物にすぎない。それは第一に、共産主義=革命的マルクス主義を社会主義的中間層に切りつめて、独立自行する「イデオロギー」となし、第二に、解放のための党を全労働者階級から超越させ、第三に、プロレタリアートの革命的階級への形成を外からの意識のもちこみに切りつめた。その歴史は、まさに、プロレタリア解放闘争の自己疎外の過程であった。
しかし我々は注意しなければならない。このレーニン主義=ボルシェヴィズムは、レーニンの時代においては、その反マルクス主義的な基底的原則は、より未発達であり、全体の主調となるものは、極めて革命的な生き生きとしたマルクス主義の具体的な諸原則の躍動である。これに反してスターリンの時代においては、レーニン主義=ボルシェヴィズムの具体的で革命的な内容が枯渇し、その基底的原則の反マルクス主義的性格が完全な内包的外延的発達をとげて全体の主調をなすものとなった。
だから、このレーニン主義=ボルシェヴィズムの歴史は、カール・マルクスが弁証法の核心的部分を書きしるしている『経済学批判序説』(「第三章経済学の方法」)の次の命題を確認する一つの歴史的事例となっている。
「より単純な範疇は、より具体的範疇以前に歴史的に存在したとしても、その完全な内包的外延的発展という点では、まさに複合せる社会形態にまつ外ないものである。が、他方、より具体的な範疇は発達の程度の低い社会形態において、より完全に発展していたのである。」
スターリン主義、それはプロレタリアートが、自分自身で巨人の如く大地に直立して、無条件に解放の主体=主人公になることができないあいだ、すなわち、自分自身を中心に、したがって「実際の太陽」を中心に行動するようになるまでのあいだ、プロレタリアートの頭上を回転する「幻想上の太陽」にほかならない! スターリン主義とは、共産主義運動における現実の生きたプロレタリアートの支配ではなく、社会主義的中間層の支配である。こう把握しなければならない。
「スターリン主義すなわち一国社会主義」という理解は一面的である。スターリン主義型の一国社会主義は、スターリン主義官僚の“特殊利益”の形成を基盤に社会主義的中間層が完全に独立した主体となることによって、すでにレーニンと共に始ったプロレタリア解放闘争の自己疎外過程が、飛躍的に完成された姿で全世界を覆うことを可能にしたものである。このスターリン主義型の一国社会主義は、人間が生みだしたものであるにも拘らず人間の拝跪する商品(それに貨幣)の物神性という疎外の歴史において、労働力が商品となることによる貨幣の資本への転化の意義に似ている。交換の発生とともにすでに部分的で不完全ではあるがとにかく始っていたこの物神性は、しかし完成されたものとしては、一定の社会的変化、特に労働力商品の出現を必要とする。かくして「価値はここでは一の過程の主体となる。」(『資本論』「第四章貨幣の資本への転化」)
さて、すでに見たように、プロレタリアートとプロレタリア解放闘争の自己疎外の過程は、一九〇三年のロシア社会民主労働党第二回大会(事実上の結党大会)を起点とするレーニン主義=ボルシェヴィズムの公然たる形成とともに始った。
メンシェヴィキに遅れをとった一九〇五年革命の過程で「寛大かつ大胆に」労働者を入党させ「中央集権主義」は「民主的中央集権」といわれるような姿を見せるが、社会主義的理論家の支配という根本的態勢は変らなかった。それに一九〇六年頃からはっきりするエクセス(革命的強盗)の時代は組織上のかたちとしても疎外を強めた。
一九一七年の革命は、この疎外を吹きとばしはしなかった。ソビエトはパリ・コンミューンの復活だといわれる。だが我々はそれは誤りだといわねばならぬ。パリ・コンミューンの中にプロレタリア権力の姿としてマルクスが認めたものは、現実の生きたプロレタリアートの独裁であった(エンゲルスがいうようにブランキ派の少数独裁の芽があったにしても)。しかし、ソビエト権力は、現実のプロレタリアートの独裁ではなく、そのプロレタリアートの生み出した党の独裁(かかる党は完全には外在化し得ないが故に党の独裁とはなり得ないであろうが)でもなく、それは革命的・社会主義的中間層の党すなわち“自称前衛”が権力についたのであった(レーニン『労働組合について、現在の情勢について、トロツキーの誤りについて』――一九二〇年、『ふたたび労働組合について、トロツキーとブハーリンの誤りについて』――一九二一年、など)。したがってスターリンのもとでのソビエトの実質的な廃止とは紙一重の差というべきである。
一九一九年三月に結成された第三インターナショナル(コミンテルン)は、その極めて革命的な目的意識にもかかわらず、レーニン型の党とレーニン型のソビエト(これは政治形態であるばかりでなく革命の形態をも示すものとされている)を両軸に、レーニン主義=ボルシェヴィズムの「逆立ち」を全世界的規模で拡大する起点となり、その「逆立ち」に基づく戦略戦術は、ヨーロッパ革命に対する誤りをなしとしない。
レーニンが出席した最後のコミンテルン大会でレーニンが言った次の言葉は、この「逆立ち」の問題を軸に、第三インターナショナルの徹底的な現在的再検討をせまっていると我々は考える。「一九二一年の第三回大会で、われわれは、共産党の組織的構成、活動の方法と内容に関する決議を採択した。……私は、われわれが、この決議で大きな誤りをおかしたという印象、つまり、われわれが自分で今後の成功への道を断ってしまったという印象を受けた。……決議は、あまりにロシア的である。それはロシアの経験を反映している。だから、外国人にはまったくわかりにくい。外国人は、それを聖像として部屋のすみにかけ、それにお祈りすることで満足するわけにはいかない。そんなことで、なにも達成できるものではない」(『ロシア革命の五ヶ年と世界革命の展望』――一九二二年一月一三日、コミンテルン第四回大会での報告)。スターリンの下での一国社会主義によって、一方、ソ連邦は、社会主義的中間層たるスターリン主義官僚が、はっきりと特殊利益を形成してその支配を徹底的に強化し、他方、各国共産党は完全に「ボルシェヴィキ化」されて、モスクワの社会主義的中間層を頂点とする全世界的規模での疎外された王国が形成された。スターリン主義は、全世界プロレタリアートの頭上に君臨する世界的規模でのイデオロギー的上部構造たる天国を形成した。
一国社会主義とは、一国でも社会主義的な建設が多かれ少かれ可能であり、必要でもあるという限りで正しい。しかし、一国で、又は、世界に強力な帝国主義を残したままで社会主義が完成されうるとか、共産主義への移行が可能であるとか考えるのは完全に誤りである。スターリン主義型の一国社会主義は、各国プロレタリアートの階級闘争を従属させ世界革命を犠牲にし、一国で社会主義が完成されるとなす点などで誤りである。
現在のソ連邦は、本質的な諸関係がプロレタリアート独裁であるとしても、少くとも現実形態としては、社会主義的中間層の独裁であって、現実の生きたプロレタリアートの独裁ではない。それは、社会主義になり切れぬ社会主義、未完成の社会主義、完成した社会主義への過渡期である。
レーニンには、気質と頭脳の正反対に近い二人の思想的双生児があった。スターリンと、トロツキーと。そしてレーニンなきあとのレーニン主義=ボルシェヴィズムは、それからのそれぞれ一定の偏差をもってスターリニズムとトロツキズムの二つの亜流に分裂して固まっていく。それぞれには更に現代的亜流が発生している。
レーニン主義のスターリニスト的教条主義者が中国共産党に代表され、トロツキスト的教条主義者が第四インターナショナルに集まっており、日本では革共同関西派や社会党に加入戦術をとる国際共産党がそれである。レーニン主義のなしくずし的修正主義については、そのスターリニスト型がフルシチョフやトリアッチなどであり、そのトロツキスト型が革共同全国委員会などである。
そして、それらすべてが、逆立ちしたレーニン主義の基底的原則の上に立っているのであるから、スターリニズムのいかなる変種、亜種についても、それを真に克服し粉砕するためには、トロツキズムのいかなる変種、亜種を対置させるも青年ヘーゲル派がなしたことと同じく完全に間違いである。
青年ヘーゲル派についていえば、「彼等のヘーゲル攻撃や彼等相互間の論戦も、各自がヘーゲル体系の一面だけを取出し、この一面を武器として、ヘーゲル体系の全体や、同じく他人によって取出されたヘーゲル体系の個々の面を攻撃するというにすぎなかった。」(『ドイッチェ・イデオロギー』)――問題は、ヘーゲル体系そのものの根底的な転覆にあった。
したがって、スターリン主義の真実の批判者は、トロツキズムではあり得ない。スターリン主義の真の克服は、レーニン主義=ボルシェヴィズムの根底的止揚なしには完結することができない。だからこそ、現代革命に誠実たらんとする者にとって、その立場は「マルクス=レーニン主義」ではあり得ない。それは、はっきりとかつ徹底的に「マルクス主義」でなければならぬのである。スターリン主義の真実の批判者は、レーニン主義=ボルシェヴィズムの正統な継承を自認するに至ったトロツキーではあり得ない。それはレーニン主義そのものの批判者でなければならない。ちょうど、資本制商品生産の止揚は、単純商品生産への復帰ではあり得ず、商品生産一般の廃棄でなければならぬと同じように。
スターリン主義の本当の批判者は、レーニン主義そのものの「逆立ち」を感受していた革命的マルクス主義者、すなわち、腐れはてたドイツ社会民主主義の公式のボスどもを頭にいただき、旧ドイツ皇帝の反動的将校たちを中核とした反革命の軍隊によって虐殺される瞬間までレーニンを批判しつつドイツ・プロレタリア革命に生涯を捧げた偉大な共産主義婦人、ドイツ社会民主党革命派の指導者、ドイツ共産党の創立者、ローザ・ルクセンブルグである。彼女は確かに多くの誤りをおかした。特に政党の役割の軽視に陥った(彼女の誤りといわれて、すでにかたづけられているようなものも、あらためて現代的に再検討する必要がある)。
そのレーニン主義批判は決して完成されていないし欠陥も多い。しかし、彼女は共産主義運動の全過程がプロレタリアート大衆自身の事業であることを知っていた。誤った基底にも拘らず、無数の革命的正しさをもった偉大な革命家レーニンは、ローザについて、次のように言っている。
「彼女は、種々の誤りをおかしたにも拘らず、なお依然として鷲であったし、また現在も鷲である……だがレヴィ、シャイデマン、カウツキーの姿をとって現れる鶏どもは、勿論労働運動の後方で糞土の塊の中に混って、この偉大な共産主義婦人の誤りを、得たりかしこしとさえずるであろう。人各々にはその本分というものがある。」
わがプロレタリアートにとって、プロレタリアート解放闘争における、ロシア・イデオロギーの根底的転覆これこそが問題なのである。この転覆された基盤の上に、レーニン主義の生き生きとした革命的で合理的な部分を、徹底的に学び、位置づけ再構成しなければならない。――ちょうど、マルクスがヘーゲルの「逆立ち」を転倒して、その合理的部分の再構成に努めたように。
スターリン主義の把握について、我々に示唆している方法は次のようなものである。我々は、現代スターリン主義全体の普遍的な問題性から出発し、その前提を、前提をと問いつめつつ分析的に下向して、レーニン主義=ボルシェヴィズムの最も基底的な原則、すなわち、「外部からの意識のもちこみ」に到達した。この基底的原則の反マルクス主義的性格を知ると共に、そこから道を逆にとって上向し、論理的に綜合しつつ、現代スターリン主義全体の具体的で普遍的な把握へと努める。
この上向的な論理的過程が、そのまま現実の歴史的過程ではない。現実の歴史は、常に全体から全体へと動いていく。この論理的過程が歴史的過程としてとらえられるためには、この過程の外の条件・要因等を考慮に入れなければならない。この条件の最大のものがスターリンの下での一国社会主義であった。この「一国社会主義」によって、この過程は、完全に独立した自己展開をして行く。こうして、スターリン主義の全体が、歴史主義的にや論理主義的にではなく、論理的でかつ歴史的なものとして把えられる。
ところで、プロレタリアートは本質的に、革命的意識を直接織り込んでいる革命的存在である。現象の皮相な外観が、当面、非革命的だとしても、多かれ少かれその革命的本質が現実化しないわけにはいかない。こうとらえること自体は少しも客観主義的ではない。マルクス主義=共産主義は、この革命的存在に全行程を据えつけている。くもりなくそう把握しなければならない。
だが、ベルンシュタインや「経済主義」から現代社会民主主義へと向う「修正主義」の流れは、プロレタリアートの自然発生性を、現象の皮相な外観に固定することによって、プロレタリアートの革命的本質を否定する。他方、この「修正主義」に抗するべき意図をもち、またそう自ら称しもし、しばしば激烈な姿でさえそのように見えたレーニン主義から現代「スターリン主義」への流れは、プロレタリアートの本質が革命的意識を本源的に欠如したものと見ることによって、その革命的自然発生性を否定し、結局、プロレタリアートの革命的本質を否定する。両者の相違は、この本質的には非革命的存在とされたプロレタリアートに肯定的に日和見主義的に立ち向うか、それとも、外から否定的に革命へとつき動かすかの違いにすぎない。
したがって、少くともマルクス主義の基底からいえば、レーニン主義=ボルシェヴィズムは、一九世紀が死んで二〇世紀が生れ出る時期にほとんど同時に発生した、ベルンシュタインの公言された修正主義に対する隠された修正主義である。そして、カウツキーをはじめとする「マルクス主義中間派」は、この二つの修正主義の間を揺れ動き、やがて完全に死滅する道をたどる。
だからこそ我々は言わなければならない。「プロレタリア運動は、巨大な多数者のための、巨大な多数者の独立した運動である」(『共産党宣言』)し、「労働者階級の解放は労働者階級自身の行為でなければならぬ」とされるプロレタリア共産主義運動は、一方において、プロレタリア運動の全体から革命性を排除して非革命的外観を固定せしめることを大衆的で「民主的」であるとする社会民主主義によって、他方、それを否定するレーニン主義=ボルシェヴィズムが、プロレタリアートを自称革命者の単なる道具に切りつめることによって――彼らの「大衆路線」が、彼ら自身とプロレタリアートを欺瞞する最大のものであることはすでに自明である――プロレタリア運動の公式の舞台から、二〇世紀のほとんど全体を通じて共産主義=革命的マルクス主義の基底が消え去ってしまっている。――日本の安保闘争の悲劇は、レーニン主義のある一群が、大衆の前に暗く閉ざされた自分の目的のための、大衆の日和見主義的側面への野合を出るものではなく、またレーニン主義の別の一群は、その強調されたレーニン主義の絶叫をとどろかせて、大衆を物理力として最大限に利用すべく努めたことにある。一方は陰性のレーニン主義であり、他方は陽性のレーニン主義である。全プロレタリアートの利益にとって必要な闘争を断固として徹底的に呼びかけ、それでいて大衆自身が闘争の主人公であることを一瞬も忘れず、それを貫徹することこそ、共産主義者=革命的マルクス主義者の魂でなければならない。
二つの修正主義がたれこめる暗く重い二〇世紀プロレタリア運動において、共産主義=革命的マルクス主義の小さな、しかし、真実の灯をかかげ、現実の生きたプロレタリアートが解放の主人公であるという原則をその虐殺される瞬間まで貫き通した人こそ、まれにみる美しい心情ときわだった知性によって、共産主義=革命的マルクス主義の魂を最も正しくつかんでいた人、最も徹底的な革命的国際主義者、ローザ・ルクセンブルグであった。現代の苦悩にみちた解放闘争の中で、「現実の・生きた・個々の人間」(『ドイッチェ・イデオロギー』)が本当に人間解放の主体であるはずの共産主義=革命的マルクス主義を全き姿をもって創造的に復活しようと闘う我々は、ローザの道の現代的主体化なしにはそれは不可能であろうと考える。それは決して、スターリン主義の習性が骨の髄まで浸みこんだ者がすぐ陥ち込むように「ローザ主義者」であってはならぬ。
我々は、こういうことができる。スターリン主義かマルクス主義かというすぐれて現代的な問題は、ローザ以後やはり厳としてこうたてられ続けている――レーニン主義かマルクス主義か、と!
五、理論・実践・組織の歴史的継承
プロレタリア解放闘争は、偉大な“個人”の運動ではなくて巨大なプロレタリア大衆の運動であるとすれば、その理論・実践・組織の歴史的継承(創造的断絶と検証的連続)が充分に確認されなければならない。
スターリンは、レーニンとの初めからの神の如き一致の伝説をつくりあげることによって、真の継承関係を見なかった。そして現代のスターリニスト・トロツキスト・社会民主主義者のなかには、自分の破産を“突然”に確認できたり、あれこれの“理論”の切れはしをたださがしまわるものや、そうでなければ、古い強大な理論の庇護の下にただかくれて一寸の飛躍にも恐怖し、無為に安逸を貪ることをもって“原則的”だと信じ込むものが多い。そして彼らは軽薄な進歩主義者でなければ頑迷な保守主義者となる。
ヘーゲルを徹底的に批判したマルクスは、ヘーゲルが今やえたり賢しと「死せる犬」として取扱われるのを目のあたりにして、「私は公然とかの偉大なる思想家の弟子であることを告白した」(『資本論』序文)と述べ、レーニンは、プレハーノフへの「恋慕」(『どのようにイスクラ(火花)はあやうく消えかけたか?』)を語る。
さて、黒田寛一氏は、自己の「革命的共産主義」の系譜を次のようにのべている。
「第二インターナショナルの日和見主義者たち(ベルンシュタイン、カウツキー、ローザ・ルクセンブルグその他)やロシア・メンシェヴィキの種々な理論と実践に対してマルクス主義の立場から左翼的批判を果敢に展開し、ロシアにおける革命闘争の戦略戦術を的確にうちだしつつマルクス主義を発展させ、ロシア大革命を実現したのは、いうまでもなくレーニンであった。そしてさらに、レーニンを中心にしてうちたてられた世界革命を完遂するための国際的な組織としての第三インターナショナルが、レーニンの忠実な弟子と自称するスターリンの裏切りによって堕落させられた時、敢然として左翼反対派を結成しつつこれと闘争してレーニン主義を擁護し、そして中国革命やドイツ革命における彼らスターリン主義者の致命的な誤謬と裏切りのゆえに、レーニン以後の第三インターナショナルの死滅と新しい第四インターナショナルの創立を宣言して死闘をかさねたのは、スターリンに虐殺されたトロツキーであった。……われわれは、まさにかかるマルクス主義の伝統をうけつぎ、現代のエセ・マルクス主義としてのスターリン主義を告発し、現実的に打倒せんとする革命的共産主義者として自覚し位置づけ実践せざるをえないのだ。」
現代の「スターリニスト」が、レーニンからスターリンへ絶対精神の自己展開をたどるのに対して、「トロツキスト」がレーニンからトロツキーへと自己の“伝統”を見出すのは当然である。
しかし我々は、すでに見て来た如く、レーニン主義は、少くともその基底から見るとき、マルクス主義の基底的原則を逆立ちさせているのであるから、「頭で立っ」たレーニン主義を、プロレタリアート自身を大地に自分自身の「足で立た」しめるべくひっくり返すことなしには、共産主義=革命的マルクス主義の真の現代的復活はありえない。
二〇世紀プロレタリアートの公式の舞台からは、共産主義=革命的マルクス主義の基底的原則が消え去ったという悲劇性を直視するべきわがプロレタリアートにとって、その現代的復活は、諸「スターリニスト」や諸「トロツキスト」の如く絶対精神の自己展開を直接に自分の系譜だとすることはできない。
「労働者階級の解放は労働者階級自身の事業」という基底的原則を生き生きと躍動せしめるべきマルクス主義の真実の創造的復活のためには、未完成で多くの欠陥をもちつつも正しい問題性を追求したローザの示唆したことの現代的な再構築をおし進めなければならない。種々のレーニン主義者がいうような意味ではないが、確かにローザは政党の軽視に陥ち込んでいる。スパルタクス団に一揆主義者や労働忌避者、街頭極左分子などが多く流れ込んでいて統制力の弱さを示したといわれることは、決して当時の事情だけに帰着させられてはならない。また、ローザが、社会民主主義者の裏切りの中で社会民主党を離れた時、わずかに一握りの同志以上を出ず、多数派社会民主党や独立社会民主党を強大なままで残さざるを得なかったことは、我々自身の問題として答を出す義務がある。
我々が直接に注目すべきであるとするものは、「労農派」マルクス主義である。我々の見るところによれば、この「労農派」は単に日本ばかりでなく、世界のマルクス主義戦線からいっても、最高水準を行くものである。「労農派」マルクス主義を超えたと称するもののほとんど全てが、実際には十分に超え出ていない。しかし、その弱さが端的に示されている革命的国際主義の欠落は、プロレタリアートの革命的本質(それは世界史的舞台を持つ)への依拠の不徹底さに基づくといわねばならない。
向坂逸郎氏が次のようにいわれるとき「労農派」マルクス主義の強さと弱さを集中的に見ることができる。「社会民主主義者と名乗ろうとも私は思いません。それには歴史的なにおいがついていると思う。……また共産主義も少なくとも日本ではその歴史からくるにおいがつきすぎている」(『社会主義講座』第八巻「日本の社会主義革命」)。そしてしばしば、その立場は「科学的社会主義」とよばれている。
ここに見られるのは、まず第一に「労農派」の巨大な強さである。各国社会民主党の中から、一切の「マルクス主義者」が消え去ってゆき、各国共産党に凝集してゆく「マルクス主義者」は、スターリン主義の呪縛にかかって、マルクス主義を“虚偽のイデオロギー”に昇天させてゆく。かくて、「疎外」をあばきだす解放の武器たるマルクス主義は、全体としてスターリンの政治上の恫喝の下に従属し、本来現実のプロレタリアートの現状廃棄の運動を意味する共産主義が、逆に社会主義的中間層=スターリン主義官僚の占有物に切りつめられてゆく中で、つまりマルクス主義に対するスターリン主義の“全一的”な支配の下で、それに曲がりなりにも抵抗できたほとんど唯一のマルクス主義は、日本の「労農派」であった。
この抵抗の拠点が何であったか?
それは、スターリン主義が天国から政治的要請を振りまわして屈服を強いるのに対して、「労農派」が“地上の学問”としての科学を対置させたからであった。そして、現代スターリニズムの支配の下で、マルクス主義が、抽象的主体性論に陥ることなく、プロレタリアートの主体性を貫徹せしめ得んがためには、“科学”という武器を徹底的に磨きあげなければならない。
黒田寛一氏は、この「科学的社会主義」をただ客観主義として嘲笑することによって、反スターリン主義闘争における科学の意義を充分に理解していない――もっとも、狭義の“科学”では充分ではなく、また、「労農派」の客観主義的傾向を否定はできないが。
我々は、「労農派」マルクス主義の科学としての成果を断固として擁護し、強調し、いっそう発展させなければならない。
しかし第二に、先の向坂氏の言葉から、同時に、「労農派」の内包する弱さをも見ないわけにはゆかぬ。師の偉大さの上にあぐらをかく者は師を侮辱するものである。「社会民主主義」も「共産主義」も歴史的に汚れた言葉となった。そこで別の言葉を……こうした態度は根本的な誤りを含んでいないか?
マルクス主義は理論的理論ではなくて実践的理論である。これは、プロレタリアートの現状を廃絶しようとする現実の運動――共産主義運動――を前提とする。マルクス主義の生命は、この現実のプロレタリアートの革命的実践にある。この革命的実践は多かれ少かれ誤りをなしとしない。だがこの実践こそ、マルクス主義に意味を与えるものである。
だからこそ、マルクス・エンゲルスは、ブランキやヴァイトリングの「感情的」ないし「空想的」な共産主義を徹底的に批判し、それから自己を区別しつつも、プロレタリアートの現状転覆の運動である共産主義としての同一性の上に立っていることを自覚していた。
もし「労農派」が、粗野で理論上実践上の種々の誤りにもかかわらず真剣に革命的転覆を追求している運動を、はっきりとかつ徹底的に擁護し支持する揺るぎない基盤の上で、その批判的創造活動を貫徹するという態度を一貫して現実化してきたのであったならば、次のようなことは起らなかったであろう。
すなわち、向坂氏が戦前の「労農派」について「共産党に対しては、理論的には勝ったが実践的には負けたのではないか?」(『社会主義への道は一つではない』)という意味の疑問を出されるとか、特に戦後、労働運動に一定の影響を与えつつも、「民同」を超えることができないとか。
ふたたび言う。共産主義とは、プロレタリアートの革命的実践を直接に表示する言葉である。だからこそ、この言葉はどうでもよい空文句ではなくて、全ブルジョアジーに死の衝撃を与え続けてきたのである! それは、ごつごつとした、誤りを織り込んではいる。だが、そして、だからこそ、ブルジョアジーにとって理解しがたい、不気味な怪物であるのだ。
だから、共産主義者という“実践者”の不充分さや誤りを、いくら“理論的に”批判しても駄目なのだ。共産主義者はけろりとして、やはりそのごつごつした転覆運動を続けつつ、“偉大で正しい”理論家を疎遠な雲上人と見做したり、日和見主義の利口な仲間と見做したりしがちである。
「労農派」マルクス主義の創始者達を深く理解する者は、それが決して日和見主義でないことを知っている。だが、その弟子たる自称他称「労農派」マルクス主義者の多くが、全くの日和見主義者に転落しているのは、「労農派」がマルクス主義を何よりもまず共産主義的実践として捉える点において不徹底であることに理由を見ないわけにはゆかぬ。このプロレタリアートの革命的本質への依拠の不徹底さは特に、革命的国際主義の欠落に示されているが、これは全運動に対するスターリン主義の支配の下での「歴史的限界」を語るものであろう。だが我々は、この「限界」に留まることは許されないと考える。
「労農派」マルクス主義者は、ちょうど、フォイエルバハが共産主義者を一つの理論的範疇にすることによって理論的に克服できると考えたのに似ている。共産主義は何よりもまず実践的概念であり、現実の生きた転覆運動を指し示す。
「労農派」マルクス主義は徹底的に共産主義とならねばならぬ。根本的には、プロレタリアートの一切の転覆運動を断固として擁護し、その中に自らの立脚点を根深く据えつけなければならない。こうしてはじめて、他の誤った「共産主義者」を批判する資格を持つことができるのである。それは共産主義という言葉を、セクト的にひけらかすことでないのはもちろんである。
こうしたことは、第二インターナショナルか第三インターナショナルか、それとも第四インターナショナルの系列かと、その革命的伝統をそのいずれかに固着するものとして選択しなければならぬことを少しも意味しない。我々にとってそれらは、全体として種々の修正主義に取りつかれていたのであり、その修正主義の下で革命的実践を追求した部分は、それがどのインターナショナルに属するものであれ、心から擁護し、評価し、位置づけ、批判的に継承するであろう。
我々は、「労農派」の「科学的社会主義」を徹底的に擁護し、学び継承するであろう。ただし、共産主義者として。
現在の諸階級の状態は、日本プロレタリアートが、政治的成熟のためにことさらに歩調を速めなければならないことを告げ知らせている。
我々のめざすものは、真実の共産主義的原則を血肉化した労働者党、一口に言えば、共産主義労働者党の建設である。
これはいかにして可能か?
我々の眼前にあるものは、共産党、民社党、社会党などである。
日本共産党はどうか。この党の骨格は、すでに見た如く、下部からは絶対に本格的な変更をもたらすことができないように作られている。変化は頂点からだけ起る。この党の中で、党の針路について自分も責任をになうべく主体的に参加しようとする誠実な革命的人間は、自分を例外者として委棄する奇怪な壁につきあたり、次のような道を選ぶほかはない。
ふたたび自分を欺瞞して党体制に順応するか、それとも、自分の主体的な責任負担能力を喪失して、ひそかに頂点の変化を祈るか、あるいはまた、徹底した“陰謀”を駆使して頂点にはいのぼり、そこから変えようと期待することによって、結局共産主義の原則を捨てるか、最後に、もっとも勇敢なもので、党中央に、無効ではあるが押えがたい玉砕的批判の火花を飛ばし(それは一瞬で消される)、党を告発して結局とび出す(=つまみ出される)か――のどれかの道をたどる。
つまるところ、この党のスターリン主義的性格は、ただ外からしか破壊することが出来ない。
民社党はどうか。
この党は、現代社会民主主義の共通な特質を、日本において、特別に集中して表現し、表現しようとしている。彼らの国民政党論は、資本制社会の“共同利益”の擁護をためらうことなく強調するものである。彼らは、資本制社会の“共同利益”を守りつつ「社会主義」へ進むのだと夢想している。しかし、プロレタリア革命と社会主義が不可避なのは、この資本制社会の“共同利益”が分裂して、深い裂け目をつくらざるを得ないからであり、この裂け目は新しい共同社会を組織することなしには閉じることができないからである。だからこの党は、社会主義へ決して進まないばかりか、革命において必ず裏切ることを今から公言しているものである。しかも少数の党官僚の手にその針路は絶対的なものとして確保されており、下部から別の道へ転換させようとすればいかなる手段にも訴えるのであり、この点は日本共産党に似ている。この党に対しては、その小さなうちに……。
そこで日本社会党についてはどうか。
この党は、各国社会民主党からあらゆる種類の「マルクス主義」が消え去り、「マルクス主義者」は各国共産党に凝集してスターリン主義の奴隷となって行く過程で、スターリン主義への殆んど無意識的な抵抗をしつつも、しかもまだマルクス主義を公式には放棄しない人々を相当多く含んでいる。この党内にマルクス主義の影響を与えてきたものは、いっそう薄められた形でではあるが「労農派」である。しかし、一方、社会民主主義的体質を深く広く残し、他方、その左翼も、スターリン主義を克服する点で極めて不徹底である。反スターリン主義と、反社会民主主義の姿勢だけは、まだ残存していることを認めることはできるが。
スターリン主義も社会民主主義をも克服した共産主義労働者党建設の途上で、共産党と民社党はただ外から粉砕する他はないとすれば、社会党に対する態度はいかに位置づけるべきか? しかもレーニン主義を克服しようとする者の党建設は、現在の日本において、いかなる道をとるべきか?
そこでまず、この任務を、多かれ少かれ“レーニン主義型”に遂行する道を少し具体的に考えてみよう。
まず第一に、すべての既成政党は堕落していると宣言し、スターリン主義と社会民主主義の両方から自分を明確に区別した思想的中核を党ないし党に準じるものとして、一切の既成政党の外につくることから始めるべきか?
しかしこれは、明らかに、その「思想」がいかに思想として徹底的にスターリン主義と社会民主主義を克服していようとも、いかにヘーゲル主義(=観念論)を批判していようとも、たとえ、我々と同じく、レーニン主義そのものの「逆立ち」を批判していようとも、それは、全体として、その「正しい思想」を独り歩きさせる“ヘーゲル”となって、共産主義=革命的マルクス主義への決定的な背反となるであろう。ちょうど、ベルンシュタイン修正主義に対してレーニンが陥ち込んだ誤りのように。
黒田寛一氏の革命的共産主義者同盟全国委員会もこのジレンマにはまり込みつつある。
そして、具体的にも、この「革命的新党」へ既成政党から革命的部分がこぼれ落ち、そうして、既成政党が破壊されるという期待の上にたてられた党建設の不充分さは、第三インターナショナルによる多くの共産党の建設、特にドイツ共産党の運命が証明している。革命期でさえも社会民主党は破壊され得ず、日和見主義を完成させつつ強大なままで生き残してしまった。
また、この一切の既成政党の外にある小党からの加入戦術の誤りについてはすでにのべた。
そこで非レーニン主義的な党建設の道にはどのようなものがあるか?
まず社会党の中で革命的な人たちが、個々に、ないし、グループをつくって宣伝することで十分か? もちろん、それでは駄目である。ドイツ社会民主党が第一次世界帝国主義戦争に協力するという犯罪の中で、とびだしてみたら一にぎりの同志を数えたにすぎなかったローザの悲劇を繰り返すことはできない。
それでは、既成政党を直観的に否定しつつも、原則的理論については雑多な、もしくは原則的理論の全く欠如した「活動家集団」を、一切の既成政党の外につくることから始めるべきか? 今の共産主義者同盟の残党たちの一部の動きのように。社会党の限界が大衆的に暴露されつくしていない現在の情勢下では、そんなことでは問題にもならない。
以上見てきたことのすべてから我々の、可能で唯一の正しい党建設への道はこうでなければならない。
それは日本社会党の内部に、共産主義=革命的マルクス主義の徹底的な純化をめざす公然たる組織的な分派の形成から始めるべきであるということだ。この分派は、(共産主義的マルクス主義的)原則を出来る限り徹底的に鮮明にしたものでなければならない。しかも、その建設的暴露の活動が、全プロレタリアートの前に明らかとなるべく、出来る限り徹底的に公然たる分派でなければならぬ。そしてこの分派は又、本当に必要とあれば、いつでも分離し得るほどの組織的な分派でなければならない。
この分派による組織的で原則的な党内闘争によって、その「社民」的体質が現実的に暴露され、スターリン主義を克服した共産主義者を結集しつつ、自称「共産党」に代って、真実の共産主義労働者党の建設を進めることができるし、そうするべきである。
日本社会党が全体としてこの新しい労働者党になるのか、それともその何割位かなどと問題をたてることはあまり意味がない。一層の前進を必要とする革命的情勢の下にある時は、この共産主義分派が、万一多数派となるとすれば、保守的な少数者を蹴落して一歩先へと進み出るべきであり、この分派が党内の少数派に止まっているとしても、情勢が一層の前進を絶対的に必要とするときは、分離して先に進むべきである。こうした分離のできる組織的な分派でなければならない。
ただし、簡単にとび出してはならない。簡単にとび出すことは安易な道である。それは日本社会党を強大なままで、しかも一層右傾させたままで残すであろう。
この分派闘争は、レーニンによるボルシェヴィキ党建設の道と形式が似ていると思われるかも知れぬ。しかし、その内容が全く異ることは論ずるまでもなかろう。
日本社会主義青年同盟をそのまま党にしようとすることは、全く誤りである。我々は、この「社青同」が日本社会党内に徹底した共産主義分派を生み出すために闘い、かつ、この分派の指導を受けるべく闘うであろう。
左翼俗物根性に骨の髄まで蝕まれている連中は、我々に向って、えたりかしこしとさえずるであろう。我々が「社民」だなどと。こうした俗物根性は、犬どもに食わしておくがいい。レーニンが次のように言うとき、我々はその政治技術的態度の限界を見落してはならぬが、ひたすらに解放の道だけを追求する真の革命者だけが語ることのできる言葉をのべているのである。「たとえ信頼できない人々とでも、一時的同盟を結ぶことをおそれるのは、自分で自分を信頼しない人々だけがやれることである。それに、このような同盟を結ばずにやっていける政党は、ただの一つもないであろう。」(『何をなすべきか?』)
六、日本革命の世界史的意義
ブルジョアジーとその代弁者はいう――集団的暴力がはびこっていることは憂慮にたえぬ、と。そして一切の日和見主義者はこの言葉の前にたじろぎ、弁解し、せいぜい二枚舌を使おうとする。
我々は、はっきりと言う。そうだ、ブルジョアジー諸君。我々の望むものこそ、まさしくその力なのだと。それにも拘らず我々は言う。バリケードとストライキの力を限りなく強めよ、しかしそれは、物理力それ自体ではなくて道義的な力だと。貧弱な武器でもってしても戦う他はないと決意する抑圧された無数の大衆の道義的力だと。この力の前に、全支配階級はおののき、さしも打ち勝ち難く見えていた権力も、その人々を欺いてきた“共同利益”の幻想は仮面をはがれ、支配階級の醜い階級的エゴイズムを白日の下にひきだすであろう。
プロレタリアートは、本質的に非合法的存在であり、あらゆる革命は、本質的に暴力的である。これを確認するものだけが共産主義者である。
形態としての革命は、より平和的合法的なものから、より暴力的反乱的なものまで、種々の段階をなして存在する。この日本の情勢を具体的に研究するものは、革命が「二重権力」的な移行形態から、いわば一重権力的なそれに相当程度接近したかたちをとり、より平和的合法的方向に近づいたものとなる可能性が強いことを知っている。この可能性に充分留意することは確かに必要である。しかしそれは、その可能性がある、ないし、強いと言えるだけであって、そうならない可能性を絶対的に排除するものではない。この現代の日本においても、革命の暴力的本質は、多かれ少かれ現実のものとならざるを得ず、最も少く見積っても、暴力的補足は不可欠であり、又暴力的形態が前面に押し出される場合もないとはいえぬ――例えば、戦争突入の前夜などの情勢によっては。
その時に臨んで、いわゆる「平和革命」に自分で完全に手足を縛ったものは、「こんなはずではない、我々は平和革命をやるつもりなのだ」と言って振舞うならば、それは完全に反革命にまわるものである。従って、マルクスが、『新ライン新聞』の赤い最終号(一八四九年五月一九日付、三〇一号)で叫んだ「革命的暴力主義」は現代でも、決して本質的に古くなったわけではない。
さて問題が、ファッシズムか民主主義か、戦争か平和かと出される時、プロレタリアートの本当のスローガンは、ファッシズムか革命か、戦争か革命か、でなければならない。そうでなければ敗北は不可避である。
なぜなら、ファッシズムも戦争も、経済的社会的生活の分裂、貧困が根本的に限界状況に突き当っており、社会がその解決を必要としていることを前提とする。ファッシズムも戦争も支配階級の解決策なのである。生身をもった人民にとって、平和も民主主義も“願わしいもの”であるが、その下では生活の不安は解消しないと考えはじめる時、ファッシズムや戦争が現実のものとなる。これに対するプロレタリアートのスローガンが「平和と民主主義」にすぎないならば、それはただ解決策のない現状維持であって、次々に後退しつつプロレタリアート自身によって投げ捨てられるであろう。意識的なプロレタリアートは、建設的な解決策をはっきりとかつ徹底的に掲げて進まない限り勝利はない。このプロレタリアートの解決策こそ“革命”なのだ。新たな共同社会の組織による解決の道なのである。
「平和と繁栄」のムードの下で、敏感な人々の耳には、戦争とファッシズムの足音が地底から聞えている現在、プロレタリアートは革命の準備を急ぎ、確固とした不敗の砦を築きつつ、自分自身を革命的主体として鍛えあげなければならない。革命的政治性の獲得に全力をあげなければならない。その為にこそ、プロレタリアートは、「構造的改良」であれ部分的改良であれ、解放の主体=プロレタリアートの革命的形成と革命的決起に“武器”となり得るものは何でも、奪い取るべく貪欲でなければならない。しかし我々は常に忘れてはならない。現在の改良主義者(=“構造的改良論者”)が考えるように、客観的獲得物それ自体に意味があるのではない。それは、解放の主体の革命的形成と革命的蜂起にとって“武器”となり得る限りでのみ意味をもつのである。
我々の語る最後の言葉は常に一つである。いわく「働く階級の解放」と。
世界プロレタリアートの指導的な星は、第一次大戦とロシア革命を境に、ドイツ社会民主党からロシア共産党へと移行した。ドイツ社会民主主義からレーニン主義=ボルシェヴィズムへと。エンゲルスが、その『ドイツ農民戦争』の序文の中で、ドイツ・プロレタリアートの二つの利点をあげて彼等がインターナショナルの指導的政党となった理由を述べたが、レーニンはすでに一九〇二年、エンゲルスのこの文章を引用して次のように言った。
「いまロシアのプロレタリアートは、はかりしれないほどいっそう苦しい試練に当面している。それに比べれば、立憲国の取締法などは、全くの一寸法師にしか見えないような、怪物との闘争がせまっている。歴史はいま、あらゆる国々のプロレタリアートに課せられたあらゆる当面の任務のうちで、もっとも革命的な当面の任務を、われわれに提起している。この任務を実現し、ひとりヨーロッパだけではなく、(いまではこういうことができる)アジアを含めた反動のもっとも強力な砦を破壊するならば、ロシアのプロレタリアートは国際的な革命的プロレタリアートの前衛となるであろう。」(『何をなすべきか?』)
我々はレーニンと同じ権利をもって次のように言うことができる。
日本プロレタリアートの本質的な強みは、第一に、非常に発達した戦闘的で理論的なプロレタリアートを大量的に育てている。第二に、それは、強力な帝国主義諸国の中にあって、しかも資本主義の最高に発達したアメリカ合衆国に直接その銃剣を突きつけている。第三に、スターリン主義に対して苦闘を続け真実のマルクス主義者たろうとして来た大量のインテリゲンツィアを自分の闘争の中にはらんできた。
もし日本プロレタリアートが、これらの本質的な強みを充分に発揮して、日本プロレタリア革命に勝利するならば、その「赤い共和国」は合衆国と全ヨーロッパにせまり、全ブルジョア世界の死の弔鐘と、世界プロレタリア共産主義革命の最終的勝利の鶏鳴となるであろう。
日本革命は、一切の古い革命と、レーニンをも超えて、完全な共産主義の全貌を示すであろう。それは世界プロレタリアートの新しい星となるであろう。「自称前衛」ではなく現実の生きたプロレタリアートは、マルクスが、パリ・コンミューンの中に見たもののきわだって完成された姿を示すであろう。
「この革命は、労働者階級こそ社会的創意の能力のある唯一の階級であるということがただ富裕な資本家だけをのぞいてパリ中産階級――商店主、職人、商人――の大部分によってさえも公然と承認された最初の革命であった。」(『フランスの内乱』)
このマルクスの言葉は、「それ自身の力だけでは労働者階級はただ組合主義的意識しか生み出すことは出来ない」としたレーニンとどんなに大きな差があることか!
来たるべき日本革命は、二〇世紀修正主義によってゆがめられてきた一切のエセ「共産主義」者を保守主義者として告発しつつ、マルクスとプロレタリア共産主義革命がどんなに偉大なものであるかを、全人類の前に、はじめてはっきりとみせつけるであろう!
かくてプロレタリア人間主義は永遠に勝利し、世界史ははじめて、真実の人類史の時代へと突入するであろう!
全世界ブルジョアジーを打倒せよ!
万国のプロレタリア団結せよ!
全日本の共産主義者は、我々のもとに結集せよ!