1969年9月
一九六五年夏、日韓批准阻止闘争の最終局面を目前にして、〈社青同解放派(東京)〉を結成してから、すでにまる四年経つ。いま、七〇年安保=〈アジア・太平洋圏〉安保粉砕闘争の真只中で、四月―六月闘争で七〇年安保闘争そのものを開始し、かつ反安保労研によって労働者の社会的隷属の現状とその闘いの革命的破壊的性格を自分自身であらためて系統的に見据えるよう努力しつつ、今秋の一大反撃戦に向けて九月一日結成した、全国解放派、すなわち〈革命的労働者協会(日本社会党・社青同解放派)〉にいままでのこの東京解放派を発展的に解消し、全国的な結合を持って、我々はこの歴史的闘争を推し進めようとしている。従ってこの大会は、社青同解放派(東京)としては最後の大会であり、かつ全国解放派=革労協の都委員会を選出する最初の大会である。二つの大会は確かに区別されるが、われわれは、この一つの歴史的継承の過程にこれまで共に闘ってきた全ての同志が一人一人の決意をもって参加するよう、あらためて強く希望するものである。社青同解放派(東京)の総務委員会は、組織と共に自分の総務委員会としての任務は終るが、それは同時に全国解放派を東京において準備してきた機関として革労協第一回東京大会としての大会を主催しぬく任務をはたさねばならず、この二つにして一つの大会が遂行されたのちにはじめて、機関として消えることが出来るものと自分の任務を理解している。
解放派は六〇年安保闘争の中にその源流をもっている。まだ全国社青同が結成される以前に、東大、早大および文京地区などにおいて社青同をつくりつつ、ブント(共産主義者同盟)と共闘しながら六〇年安保闘争を闘い抜くなかに源流を持っている。一九五九年、一一月二七日、労働者、学生の巨大な求心デモが国会構内に突入し、六〇年安保闘争が最後の決戦段階に突入するとともに、それまでのブントとの対立にもかかわらず、ブントとともに闘うことをはっきりさせるがしかしブントの労働者階級に対する小市民的態度が我々をブントへの結集ではなくて、社会主義青年同盟という組織での青年労働者への結合の可能性を追求することに向かわせる六〇年安保闘争の決戦段階に社青同解放派の源流がはじまる。だから解放派は、社青同に「外」なる「党派」から陰謀的に「介入」すること、すなわち「加入戦術」によってはじまったのでは決してなく、学生の大衆闘争の接近がプロレタリアートの心臓を獲得せんとする現実的衝動を意識し、また闘う労働者が解放の頭脳を獲得せんとする衝動に駆られるなかで、めばえた党派だということが第一に大切である。すでにこの時点までに、われわれはブントを「小ブル急進主義」として攻撃し、「情勢分析の客観主義、方針の主観主義」として批判し、またその学生についての小ブル規定を批判して「労働力商品の生産、再生産過程」としてとらえていたことに、自分自身の現実的衝動を意識して闘おうとしていたことをみてとることができる。こうして六〇年安保闘争の衝撃を強力に受けつつ六〇年秋に結成された全国社青同に、はじめから「加入戦術」としてではなく解放派の源流が存在した。翌六一年五月、社青同全国学生班協議会(学協)の結成宣言ともなっている『解放bU』の「共産主義=革命的マルクス主義の旗を奪還する為の闘争宣言(草案)」は六〇年安保闘争において闘い抜いた一定の人たちが自分の現実的衝動をどのように意識したかの総括的文書である。そこでは現実の血と肉をもった労働者が解放の生きた主人公であるととらえ切ることがレーニンの「外部注入」論をも批判せずにはいかないことが示されている。これは闘いにおいてさげすまれ続けてきた労働者が自分自身の偉大さに気づくという点で学生運動の中からのものでありながら、闘う労働者にとってかえって直接に響くものが多少ともあることをその後の過程が示してくれたといまではいうことができよう。何故学生運動の中からこのようなものが生れ出ることができたかということについては、何ら神秘的なものはない。自分自身の現実的衝動を意識しつつ闘い抜こうとする学生が影ではない血と肉をもった現実の闘う労働者に真剣に関わろうとする限り、自分の働きかけている対象が実は自分自身に働きかけてくる生きた主体であることにどうして気がつかないでおれようか! この六〇年安保闘争の総括はこの態度をもって労働者と真に病院闘争を闘うなかからはじめて生まれた。このことが解放派の源流を理解するに当って大切な第二の点である。そしてこのことはその後の解放派形成がこの『解放bU』を直接踏み絵にしてこの文書を認めるか否かということでブッタ切りながら進行したのでは決してないことを注意することが更に一層大切である。「天上から地上に降りようとするのではなく地上から天国にのぼろうとする」ことに徹せんとしているその精神からして、そのようなことはやろうにやれないことである。社青同学協のその後の過程は、様々な系譜と傾向をもって社青同に参加する人達が共に闘い、かつその闘いによって問題が新たに開始され、その問題と真剣に格闘することを通じて、多くの人たちが変化しつつ一つの道に達してゆくという過程に他ならない。それとともに労働者自身の闘いにおいても同様にその過程が進んでゆく。全国社青同という団結の形式のもとでの労働者自身の変化に、闘う学生の変化が結びついてゆく。とりわけ社青同東京地本の闘う労働者においてこれが強力に進行する。闘う人達の発展過程そのものの組織化、闘争の突き出す問題との共同の格闘によってのみ獲得される一致が、新たな問題に直面しての、はじめの一致の恐るべき崩壊と、問題解明の格闘を通じてのみ獲得される更に深い一致、組織性についての我々の今日の要約としての団結―実践―人間存在の変化―意識の変化―新たな団結。これが解放派の特徴にとって大切な第三の事柄である。この道は底知れぬ力を必要とするが、それだけ又限りなく豊かに結実することができる。一九六二年末には、労働者階級の闘いの内部に最も断固として解放派運動を意識的に推進する前衛的部分が存在するに至る。
しかしこれとても『解放bU』を直接の踏み絵としてではない。それは示唆を支えてはいる。だがこれは憲法公聴会阻止闘争とキューバ危機の中で、新たな労働者の闘いのはじまりの予感をプロレタリア革命の永続性、世界性、現在性、暴力性、分派闘争を通じての革命的プロレタリア党建設として意識して闘い抜こうとして生まれ出た。これは六四年初め東交反合闘争との格闘によって急激に育てられ、原潜闘争、日韓、ベトナム、全逓反合闘争を通じて、「現状の把握と運動の方針」を本格的に実際問題とすると共に社青同東京地本の大量的変化の最も断固たる推進力をなすものとなった。この六四年にはまた全国学生解放派が組織として存在するようになり、そして、社青同東京地本の主流をなすに至った大多数の構成員が社会主義協会の反功を打ち破って日韓、反合闘争を闘い抜く体制を固めた。一九六五年夏の地本大会に引き続きこの分派闘争にも勝利をもたらしたたくさんの人たちの手で〈社青同解放派(東京)〉が結成された。その根本的なスローガンは「労働者階級の自立」である!
社青同解放派(東京)の四ヶ年の闘いにおいてわれわれ一人一人を育ててくれた勝利と敗北の闘いを、われわれ自身が全国解放派においてその課題と引き続き格闘し、それらの闘いが単に過去として取扱われるのではなく現在においても解決を求め続けているものとして、問題を集中的に突き出すことによってわれわれを育ててくれ、将来にわたって食いつき背負い続けなければならない闘いの教訓として要点的にいま一度みておこう。
第一に社青同解放派(東京)の出発の仕方について。
われわれは東京解放派建設の四ヶ年において、何度、このような問題はすでに解放派の結成時点でかたづけていなければならなかった、というような事態にぶつかったことだろう! 行動委員会運動や分派闘争について何度ズタズタに引き裂かれようとしたことか! だが、どんなに最初の意志統一が大切であれ、プロレタリア解放闘争は、何度も同じ問題にわれわれを引きもどし、同じ問題の前にわれわれを立止まらせるが、それはわれわれに、それらの問題を根本的に解決させるためにそうするのだということを重々忘れないでおこう。我々は出発点にすでに突き出されていた問題に繰り返し立ち帰ることによって前進してきた。あらかじめかたづけておけば安心というような処方箋はどこにもない。もしこんな処方箋のとりこにわれわれがなっていたならば、われわれは相互のブッタギリの限りをつくして全くの不毛となっただろう。権力、命令によって労働者の組織が作られるのではないことにどこまでも徹しなければならない。
第二に日韓=反合闘争について。
われわれは、日韓闘争に最も目の色を変えて突進した部隊として自他ともに認められている。戦闘的デモンストレーションにはじめてヘルメットの労働者が登場するが、これは労働者の強固なスクラムのデモを貫くために労働者が自ら生み出したものである。この日韓闘争は、日韓条約を同時に合理化のためのものと把握するなかでわれわれにとってプロレタリア的政治闘争の一つの大きな跳躍台となったが、しかし反合闘争とその発展としての政治闘争にとって、組織論的にはまだ大きな欠陥をもっていたといわねばならぬ。たとえこの日韓=反合闘争の敗北の結果、行動委員会運動と分派闘争をはじめて組織路線として総括的に突き出しているとはいえ。つまり、「一点突破、全面展開」は現在でも確認すべきことであるが、労働者階級の自立が同時に労働者一人一人の自立でなければならぬと強調して意識しようとしているのではあるが、しかしこの労働者諸個人の自立が単に直接的であらかじめ自立した諸個人の束が労働者の団結であるかのように。また、自分の労働に対する自分の支配が、たとえば「平常能率闘争」における(この闘争は大切だが)一匹狼的な抵抗の束がゲリラ戦組織であるかのように。さらにまた「一点突破」が、一点において資本の運動法則そのものが破壊されるかのように。要するに、〈団結において、また団結を通じてのみ可能な労働者の自主性の回復、全面的発達〉、いいかえれば自分の労働に対する自分の支配が、労働者にとっては〈自分たちの共同による自分たちの労働の支配〉(支配能力の発達をも意味する)として団結と諸個人の自立が明確にならず、諸個人の自立は単なる分散主義のように意識されたり、団結の強調は官僚的中央集権主義のように意識されたりすることを残していた。しかし、この闘いにおいて、労働者の本能的な団結が育ちつつあった。それは頑強なデモに示されている。とはいえ、この弱点は、その後の東交闘争の中にも鋭く残存するものとなっていた。そのことが、行動委員会運動の意義をなおあいまいなものにしてきた。
第三に東交闘争について。
われわれは、東交闘争への取組みによって反合闘争を大きく飛躍させることになった。このことをわれわれは繰り返しふり返ってきた。しかし、解放派としての四ヶ年における東交闘争の深刻な問題は、労働者が「流れる」ということである。このことは、現在でも、様々な形態をとって、われわれにとって反合闘争の一般的な問題となっている。社青同東交班協におけるものすごい大量的な人間の変化にもかかわらず、多くの東交労働者が一匹狼的にされつつ「流される」ことを超えていない。労働組合のこれまでの団結への信頼が幻想であったことがはっきりしながら労働者自身にとっての団結への確信がまだ引き出されていない時におとずれる労働者の闘いにおけるこの悲惨! 行動委員会運動はこの労働者が「流れる」という問題と、徹底的に格闘し続けなければならない。労働者一人一人の働く権利を最後まで、貫き通して合理化に反対し抜くことこそが行動委員会運動でなければならない。
第四に社青同東京地本の分裂について。
社青同東京地本に対する社会主義協会の全くの反労働者的な破壊攻撃に際して、それまでのわれわれの団結について、すでにみた弱さが一挙に突き出された。労働者一人一人の自立にとって労働者の団結がその条件であり、団結の外で労働者個人が自立する(実は「私的個人」に止まっている)のではなくて、古い社青同の団結が桎梏となるや、それを桎梏とする一人一人が発展するためには新たな団結をもってしなければならず、この新たな闘いが必要不可欠なものとして育てた団結(闘いの拠点の破壊を許さない)を崩して、結局の所ばらばらにされて、帰ることの許しをこうなどあり得ないことを、先ずあらためて教えた。団結についてのこの深刻な経験は、その後の東京地本同盟員の心を深いところでとらえ、行政権力に対する頑強な団結に鍛えられてゆくとともに、今回の社青同全国大会でも、その威圧的な強力さを示した。
第五に「革命同志会」について。
革同についての多くの問題は、結局の所〈行動委員会運動の中からの党〉の問題に帰着するであろう。労働者の相互の競争にかえるに団結をもってするこの労働者の真剣な運動において労働者一人一人が現状において自発性を回復し、すべての資質を発達せしめる可能性を手に入れる。このことを現にわれわれは証明しつつある。この行動委員会運動を結びつけ、発展せしめんとする労働者の党、この行動委員会運動に基礎づけられた革命的労働者党建設の道は、だから不可避的に、桎梏としての既成党と衝突してゆかざるを得ない。だから、その形態はいろいろに変化するが、日本の労働者の多数に影響を及ぼして来た日本社会党については勿論のこと、日本共産党についても結局の所それを桎梏として衝突し始めており、種々の小ブル新左翼についてもそうなるほかはない。この労働者の現実的な発展過程を推進してゆくことから離脱した「社民批判」などはどんなに激しい社民攻撃を見せようと、「社民との統一戦線」という癒着への可能性をいつも持っている。この行動委員会運動の中からの党だけが社民党などにとって「革命的破壊的側面」たりうる。前中闘争と大田行動委員会、東水合理化と東水労研、全逓班協の反戦・反ファシズム・反合理化の闘いと今結成されんとしている全逓労働者会議、六七年以降の反戦闘争と今日のアジア・太平洋圏安保粉砕闘争の問題は、組織的な闘いとしてはこの〈行動委員会運動の中からの党〉の問題として全国解放派のなかにしっかりと引き継いでゆこう。今日の学生運動はわれわれにとって〈専門奴隷と職業白痴の道に抗して全面的に発達した人間へ〉という問題を提起した。闘う学生はこの問題を宣言した。しかしこの問題の真の解決はあらゆる専門を喪失することによって逆に可能となった工場労働者の闘う団結によって発展することによってのみ暴かれる。全国解放派はこの団結の推進を使命とする。東京解放派のすべてのメンバーが一人一人決意をあらたにこの全国的団結に結びつこうではないか!
(口述)
(第七回総会 一九六九年九月二九日)